2017/07/23 市ヶ谷散歩 市ヶ谷亀岡八幡神社/ブランコ・ド・ヴーケリッチ旧宅/左内坂/駅周辺

だいぶ暑くなったので散歩が辛くなってきた。
市ヶ谷駅周辺をちょこっと散策。



◆市ヶ谷亀岡八幡宮

かなり大きな神社ですね!



すごい階段・・・・。



茶ノ木稲荷神社

階段途中、左側にお稲荷さん。



金刀比羅宮



出世稲荷



銅鳥居



銅鳥居は新宿区指定有形文化財とのこと。
軍配団扇は太田道灌が所持したものとあった。
公開される日はあるのかな??




市ヶ谷亀岡八幡宮の几号水準点(水鉢台座)


この記号のこと↓



 明治初期に、イギリスの技術を導入した内務省地理寮は、近代的な測量を開始し、東京を中心に、「不」の字に似た記号を用いた几号水準点を設置した。
 市ヶ谷亀岡八幡宮の几号水準点は、神社境内の水屋の水鉢台座の側面に刻んだもので、内務省地理寮による関八州大三角測量が開始された明治八年(1875)ごろに、刻印された。
 現在、台座の上には、昭和二十六年(1951)に、八幡講により奉納された水鉢が置かれているが、もともとは社務所前に置かれている、宝暦七年(1757)に越前屋吉兵衛によって奉納された水鉢とセットであったと推定される。
 「江戸名所図会」(天保五・七年間刊、1834・1836)には、現在と同じ位置に水屋が描かれており、また「東京実測図」(明治二十年、1887)に記された標高(水準点九十四・八尺、約二十八・七メートル)が現在ととほぼ変わらないことから、水準点の位置が、設置当初から移動してないことがわかる。
 市ヶ谷亀岡八幡宮の几号水準点は、設置当初の場所に位置する希少な几号水準点で、保存状態も良好である。近代土木史上、貴重な文化財である。



平成二十九年ってことは今年文化財に登録されたんだねぇ。
この几号水準点をWEBで調べると、いっぱい出てくる・・・。
また新しい世界への扉が開かれた(w



力石




こちらも文化財
登録は今年になっているので、先ほどのと同時登録かな?




◆ブランコ・ド・ヴーケリッチ旧宅

八幡さんを抜けると左内坂の上のほうに出る。
説明板も何もないので合ってるかどうかわからない。
google map に載ってたのでとりあえず写真を撮ってみた。


で、WEBで調べてみたら、スパイ!?
クロアチア出身のユーゴスラビア人のスパイで、ゾルゲ諜報団のひとり。日本ではユーゴスラビア紙ポリティカやフランス・アヴァス通信社(現在のAFPの前身)のジャーナリストとして活動した。』
とあった。

そして、
牛込区市谷左内町の一軒家に転居した』
と書かれているので、
このあたりだったことは確かなようである。
興味深いのであとでじっくり調べることにする。


メモ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81




左内坂




この坂道は、江戸時代初期に坂上周辺の町屋とともに開発された。
名主島田左内が草創したので、町名を左内町と呼び、坂道も左内坂と呼んだ。
と、あった。



市ヶ谷駅周辺


市ヶ谷橋



この橋を市ヶ谷橋といいます。
市ヶ谷門に架かる見附橋であります。
門は寛永十三年(1636)森長継の担当で建造され、
市ヶ谷への出口であったので門の名となり、
橋の名ともなったのでしょう。
また門は「市ヶ谷」「一ヶ谷口」ともかかれています。
市ヶ谷の名は、市ヶ谷孫四郎の領地であったからとも、
四谷第一の谷、または市が立ったので市買だともいわれています。
四谷、牛込をはさんで市ヶ谷付近の濠は、
同じ高さなので濠の幅を広くして敵に備えたといいます。
このあたりは昔は桜が多く、門は「桜門」といわれていました。
現在も橋をはさんで咲く土手の桜は有名です。
門は明治四年(1871)撤去されました。
現在の橋は昭和2年(1927)に架設されたものです。
長さ三六・四メートル、幅十五・六メートル。コンクリート造り。



この碑は千代田区が建てている。
お堀を挟んで新宿と千代田区に分かれるみたいだね。





釣り堀

おそ松さんでよく出てくる釣り堀(w


市ヶ谷駅



今回はこれで帰宅。
ちょこっとしか散歩しなかったけど、いろいろあったなあ。
暑い時期はしょうがないね。。。