2017/08/15 岩本町散歩 04 国旗掲揚台/海老原商店/神田佐久間町/電車男とエルメスの場所

国旗掲揚台は前日記の「柳原土手跡」と「和泉橋」の目と鼻の先にある。
和泉橋を渡ったり戻ったりで、
方向音痴ぶり発揮だった(汗




国旗掲揚




帝国在郷軍人会が昭和9年に建てたものだそうだが、
どういう経緯で建てられたのかとかはわからなかった。



帝国在郷軍人会をwikiで調べてみた。
『1910年(明治43年)11月3日、予備役・後備役軍人の軍人精神向上、傷痍軍人・軍人遺族の救護等を目的に伏見宮貞愛親王を総裁として発足した。』
と、あった。


『事業としては、
勅語、勅諭その他の奉読式、四大節その他における遙拝式
軍人精神の鍛錬、軍事学術の研究および演練その他
毎年の陸海軍記念日における祝典、戦没者の祭典、廃兵、戦死者および公傷病兵の遺族に対する慰藉
会員の応召準備整頓、召集事務幇助、徴兵志願兵検査および簡閲点呼参会者の指導
入営者その他に対する軍事教育
青年訓練所の訓練幇助、青少年団の指導協力
風紀改善の協力、社会公益事業の幇助、公安維持ならびに非常時における救護事業の援助
会員の親睦、相互扶助
精神修練および軍事一般知識の普及に関する講演、機関誌として『戦友』および『我が家』の発行その他』


と、あったので、3番目の記念日などに国旗を掲揚するための台だったものと推測される。



◆海老原商店

看板建築の建物だね。


千代田区観光協会に紹介されてた。
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/1396/Default.aspx


こちらの写真を見ると、他にも看板建築が残っていたんだね。
今はこの1件だけになってた。


Facebookをみると、様々な催し物をするスペース?
面白そうなイベントやってそうなのでチェックしてみる。



神田佐久間町一丁目




 「佐久間町」の町名は、かつて佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされています。商人の名がそのまま町名になっていることからもわかるとおり、この界隈はとりわけ江戸商業の発達史にゆかりの深い場所でした。
 神田佐久間町一丁目の商人のなかで、とくに目立ったのは材木問屋でした。あまりに多くの材木問屋が集まっていたため、材木商たちの間では神田材木町の通称で呼ばれていたといいます。そのほか町内には、薪や炭を扱う業者も多かったようです。
 明治維新を迎え、江戸が東京と名を変えても、神田佐久間町一丁目には数多くの材木問屋や薪炭業者が商いを続けました。特に幕末から明治にかけては活発な取引がおこなわれたようで、この町における炭の相場の変動が東京全体の炭の価格に影響していたと伝えられています。
 江戸時代から続いていた神田佐久間町一丁目の町名は、明治四十四年(1911)の町名変更によって佐久間町一丁目となりました。そして神田区麹町区が合併して千代田区となった昭和二十二年(1947)、ふたたび神田佐久間町一丁目という伝統ある名前を復活させ、いまに至っています。




秋葉原公園(佐久間町一丁目、佐久間橋の親柱は全部この公園内です)




 秋葉原公園は、明治時代、神田川秋葉原貨物駅の船溜まりを結ぶ運河の一部でありました。その後、運河 は埋め立てられましたが、公園の両側には、当時の護岸 の石垣を残しています。また、公園の南側には、運河に架かっていた佐久間橋がありましたが、現在は道路として整備され、その名残りとなる親柱を公園に設置しています。




佐久間橋の親柱



電車男エルメスの場所

google map に載ってたので来てみた。
しかし、「電車男」を観てないのでここが本当にそうなのかとかわからない(汗
どんなシーンで使われたのかとかご存知の方教えてくだされ〜!



散歩はまだまだ続く。