2017/08/27 02 神保町散歩 01 如水会館/東京外国語学校発祥の地/新島襄生誕地/東京大学発祥の地/学士会館

一ツ橋を見た後は、隣にあった錦橋を見たくてそちらに移動。
また戻ってきて神保町駅の方に向かって歩く。



如水会館

如水会館のHPはこちら↓
https://www.kaikan.co.jp/josui/
結婚式場などがあるね。
ビアガーデンいいなあ。
5000円かぁ・・・・。


ちょこっと調べると・・・・。
一橋大学の前身、東京高等商業学校があった場所とのこと。
「申酉(しんゆう)事件」などの歴史が・・・・
wikiのページを見るとものすごい情報量。
後日ゆっくり調べることとする。


如水会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%B0%B4%E4%BC%9A


「申酉(しんゆう)事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B3%E9%85%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6




◆東京外国語学校発祥の地




東京外国語大学の起源は 安政1(1857)年に創設された 蕃書調所まで遡るが, 直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは, 明治6(1873)年11月1日, この地(当時の 東京府神田区一ツ橋通町一番地)においてであった。
東京外国語大学は この日を建学記念日として, ここに碑を建立する。




新島襄生誕地



京都同志社創立者 新島襄先生は1843年(天保十四年)上州安中藩主・板倉伊豫守の江戸藩邸に誕生せられた。
先生は幕末における国家多難の際、わが国の前途をうれいキリスト教の信仰と海外事情研究を志して二十一才(1864年)函館より密かに脱国、米国に渡航し新英州キリスト教文化の根本を体得せられた。
母国日本の隆盛をはかるためには、単に法律、政治、経済の改革のみによって達せられるものではなく、人民の一人一人が『知識あり品位あり自ら立ち、自ら治め』うるものであり『良心の全身に充満したる丈夫(ますらを)』となることによってその目的を達しうるものであることを痛感せられた。
留学十年、1874年(明治七年)帰朝、翌75年11月29日、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。
この碑は新島襄先生生誕百年を記念して建てられたが、神田錦町出身の偉大な先覚者をしのび、この解説を掲示するものである。




東京大学発祥の地


学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。
 すなわち、明治十年(1877)4月12日に神田錦町三丁目に在った東京開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創立された。
 創立当所は法学部・理学部・文学部・医学部の四学部を以て編成され、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町三丁目の当地に設けられていた。
 明治十八年(1885)法学部には文学部中の政治学及び理財学科が移され法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が置かれた。このようにして東京大学は徐々に充実され明治18年までに本郷への移転を完了した。
 したがって、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地ということになる。
 明治十九年三月東京大学帝国大学と改称され、その時、それまで独立していた工部大学校と工芸学部が合併され工科大学となり、その後東京農林学校が農科大学として加えられ、法・医・工・文・理・農の6分科大学と大学院よりなる総合大学が生まれ帝国大学と名づけられた。
 更に、明治三十年(1897)には京都帝国大学の設立に伴い、東京帝国大学と改称された。
 爾後明治四十年に東北帝国大学、明治四十四年に九州帝国大学大正7年北海道帝国大学、昭和六年に大阪帝国大学、昭和十四年に名古屋帝国大学が設立された他、戦後なくなったが大正十三年に京城帝国大学、昭和三年に台北帝国大学がそれぞれ設立された。
 昭和二十二年(1947)に至って、右の7帝国大学はそれそれ東京大学京都大学東北大学九州大学北海道大学大阪大学名古屋大学と呼称が変更された。
 明治十九年七月創立の学士会は以上の9大学の卒業生等を以て組織され、その事業の一つとして、当学士会館を建設し、その経営に当たっている。




学士会館


ここも結婚式場などあるようだ。
先ほどの如水会館の近くなのに!
すごいね・・・。



学士会館のHP
http://www.gakushikaikan.co.jp/



新島襄生誕地
東京大学発祥の地
は、この敷地の中にあり、それぞれこの地を指している。



散歩はまだまだ続く。