2017/08/27 02 神保町散歩 03 小学館・集英社/救世軍本営/中猿楽町/矢口書店/神保町愛全公園/東亜高等予備学校跡

白山通りから靖国通りに入ってすぐに外れて北に向かう。
google mapに小さな公園が二つ表示されていたので、
行ってみることにする。



小学館集英社

奥が小学館で、手前が集英社
隣り合ってるとは思わなかったなあ。



救世軍本営

万国的ムーブメントである救世軍は、
公同のキリスト教会における福音主義を代表する一派である。
そのメッセージは、聖書の基盤に立ち、
その働き(ミニストリー)は、神の愛に動機づけられ、
その使命は、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、
イエス・キリストのみ名において、
分けへだてなくすべての人々のニーズに応えることである。


と、HPに書いてあった。
詳しい人を知っているので後できいてみよう。



◆矢口書店

靖国通り沿いにあった。
映画・演劇関係の古書を扱うお店とのこと。
この看板建築がいい感じ♪
今度来ることがあったら中に入ってみよう。



◆中猿楽町



 ここはかつて中猿楽町と呼ばれていました。
 室町時代以降、猿楽(のちの能楽)は、多くの武士たちに楽しまれるようになりました。なかでも観阿弥世阿弥の流れを受け継ぐ「観世座(かんぜざ)」は、江戸幕府から手厚い保護を受けていました。その家元観世太夫(かんぜだゆう)や一座の人々の屋敷が、現在の神田神保町一丁目〜二丁目から西神田一丁目〜二丁目のあたりにあったことから、この一帯に「猿楽町」という名が生まれました。
 この界隈は江戸時代、おもに武家屋敷が軒を連ねていました。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、「中猿楽町」という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872年)のことになります。
ところで町内には、大正三年(1914年)、中国の留学生が日本国内で進学する際、欠かすことのできない日本語や英語、数学などを専門に教える東亜高等予備学校が設置されました。中華人民共和国成立後、国務院総理(首相)を務めた周恩来(しゅうおんらい)も、大正六年(1917年)から約二年間、この学校で学んでいます。
中猿楽町はその後、昭和九年(1934年)、神保町二丁目と西神田一丁目の一部に組み込まれました。この地域の町会は、その名に「中猿」の二文字を残し、神田中猿町会と名乗っていましたが、昭和二十九年(1954年)四月、神保町と西神田の町名から「神西(じんせい)町会」と改めて、現在に至っています。




◆神保町愛全公園

人が写ってませんが、タバコをふかすおじさんが沢山いた。




◆東亜高等予備学校跡


周恩来(しゅうおんらい)ここに学ぶ



 日中両国の人々が敬愛する周恩来総理は、1898年3月5日江蘇省淮安に生まれました。周総理は1917年(大正6年)に19歳で日本に留学。この地(当時はかんだ区中猿楽町)にあった東亜高等予備学校(創立者・初代校長=松本亀次郎)で日本語を学び、大学進学の指導を受けました。そのころ、日本政府の対中国政策に反対した松本亀次郎校長の心請にも影響を受け、1919年(大正8年)には帰国して天津の南関大学に学び、新中国の建設に身を投じました。
 周総理生誕100年・日中平和友好条約締結20周年にあたり、東亜高等予備学校の跡地であるこの場所に、周恩来が学んだことを示す記念碑を、千代田区の歴史の一コマとして建立します。日中友好の気持ちをこめて・・・・・・。


神保町愛全公園の中にあった。



散歩はまだまだまだまだまだ続くのだ。