なるべく以前と同じ道を歩かないように神田駅に向かう。
珍しく交差点もあるが碑があったり珍しいものが走っていた。
◆末廣神社
◆小伝馬町交差点
岩本町一丁目は、かつて東福田町)、材木町、東今川町、亀井町の四つの町に分かれていました。
古地図にある川筋は、明暦の大火翌年、万治(まんじ)元年(1658年)に造られたものです。このうち竜閑橋より甚兵衛橋(じんべいばし)の先、堀が南へ曲がるところまでの土手を「八丁堤」、掘割は「神田八丁堀」と呼ばれ、下町の防災の拠点になっていました。
この掘割は、以後何度か埋め立てや開削が繰り返されましたが、明治十六年(1883年)、新たに堀を開き、「竜閑川(りゅうかんがわ)」と呼ばれるようになりました。
明治元年(1868年)、それまで細分されていた町が、「東福田町」「材木町」「東今川町」の三町に区割りされ、昭和の初期に日本橋区より「亀井町」の一部が編入されて四町となり、現在の町の形が整いました。亀井町はその後、昭和二十二年(1947年)に材木町に編入されました。
各町名の由来を調べてみると、
東福田町
むかし、この近在を「福田村」と称し、当地はその東方に位置していました。安政四年(1857年)に土手を崩して堀を埋め、その跡地を開いて町としました。
材木町
川筋に面して船で運ばれた材木などを荷揚げする場所があり、多くの材木店が軒を連ねていました。
東今川町
川に架かる橋の一つ「今川橋」の東にある町でした。橋の名は、天和(てんな)の頃(1681年〜1684年)の名主「今川善右衛門」に由来するといわれています。
亀井町
寺社地であったところが、町屋に変わるとき、それを祝して名づけられました。町名はこの町を開いた亀井某の名によるともいわれています。
これらの町は昭和四十年(1965年)七月一日の住居表示の実施により、合併して現在の「岩本町一丁目」になりました。「竜閑川」は終戦後に三度埋められて現在に至りますが、江戸の頃より変わらないのは、この川筋を神田と日本橋の境界としていたことです。現在は千代田区と中央区の区境となっています。
◆古賀オール株式会社
ちょっと気になって写真を撮ってみた。
調べてみると「鉄」屋さんだね。
きっといろんなところでお世話になってるはず。
◆今川橋交差点
特に何もなかったが、マリオカートが走っていた(w
最後尾はピーチ姫だね(ww
神田駅前の北海道でランチを食べ、神田駅でゴール。
今まで見逃しちゃったところを見てまわる散歩になった。