2017/09/26 飯田橋散歩 05 東京府立第四中学校発祥の地/日本大学開校の地/日本医科大学付属第一病院記念碑/國學院大學発祥記念碑

今回の日記で紹介する碑はほとんど集中してた。
少ししか歩いてないのにすごい情報量・・・・。



東京府立第四中学校発祥の地

明治三十四年(1901)、東京府立第四中学校が、この地にありました。同所は明治十五年(1882)に国学を研究する目的で設けられたもので、明治二十一年(1888)に同じ地内に開設された補充中学校が、共立中学校、東京府城北尋常中学校と名を変えて府立第四中学校となったものです。その後、府立四中は明治三十七年(1904)に市ケ谷加賀町に移転し、戦後は新宿区戸山町に移り東京都立戸山高等学校となっています。



日本大学開校の地

明治二十二年(1889)ここ皇典講究所内に維新の志士、吉田松陰門下、時の司法大臣である山田顕義により日本法律学校が創立されました。
これは、日本大学の前身にあたります。明治二十八年(1895)に 三崎町に移りました。




日本医科大学付属第一病院記念碑

これから書く・・・・
日本医科大学付属第一病院記念碑」
國學院大學発祥記念碑」
飯田橋 町名板」
は、この写真の中に全てある。




七十三年の歴史
 日本医科大学付属第一病院は、大正13年(1924)に千代田区飯田橋の地に、日本医学専門学校飯田橋医院として開院し、昭和6年(1931)に当時の建築の粋を集め、近世スパニッシュ装飾を施して建てられた。
 日本医科大学の付属の病院として、日本の医学教育及び医療の発展に大きく貢献してきた、平成9年(1997)9月30日閉院した。



國學院大學発祥記念碑

明治十五年  有栖川宮熾仁親王を総裁としてこの地に皇典講究所創設 同所を母体に 山田顕義所長のもと  
明治二十二年 日本法律学校(現 日本大学)
明治二十三年 国学院(現 国学院大学)を開設す




散歩は次でラスト。