2017/10/01 追浜散歩 05 鳥海病院/傍示堂/豊海稲荷神社/神明社/山之場トンネル/深浦隧道

かなり行ったり来たりの無駄があった。
事前にいろいろ調べてくるべきだね。
山の上の神社を目指す。
ほとんと登山に近い・・・・・。




◆鳥海病院

第三海堡でもらった「おっぱま再発見」という絵地図には、昭和初期の病院建築と紹介されていた。




◆傍示堂

このお堂の脇に説明板が二つあった。



傍示堂の石塔群

 昔、このあたりは天神山脈が東西に連なって、和田山・室ノ木に達する険しい山道でした。
その尾根道の峠を南北に貫く小径が「浦賀道」で、その小径の傍らに、古くから五輪塔・地蔵・庚申塔が祀られていました。
 特にこの場所は、浦郷村(現在の追浜)六浦荘村(金沢区)の村境いである事と又、相模・武蔵の国境いでもありましたので、隣村から悪人や病気が入らぬよう、そして、自身の長寿を祈ったのが、ここの石塔群です。六体揃った舟形の石の中にお地蔵様が彫られている「六地蔵」と、お首が落ちて見るからに痛々しい「六地蔵」がありますが「六地蔵信仰」は人間の死後、六道「天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄」を
輪廻転生すると言われ、自身と亡者の死後の世界の幸せを願ったものでありましょう。
 「庚申塔」は、人間が穀物を食べるようになり、穀物のなかに住んでいる、「三尸(さんし)の虫」が人間の体内に入り、その行動を監視します。
 そして十干十二支で言う「庚申(かのえさる)」の日、その人間が眠りに入った時に、
体内から飛び去って「天帝」に、その人間の悪事を報告します。そのために「庚申」の日に「三尸の虫」が、自分の体内から飛び去らないように「講」を造ったりして夜を徹します。
 「講」を続ける事十三回を座として、その折ふしに庚申塔を建てます。
 「五輪塔」は、鎌倉・室町時代に建てられたものが多く、宇宙の五大要素の空・火・水・地を表現しています。正面には「梵字」が彫られています。ここに祀られている「五輪塔」は、約六百年前のもので四面に「梵字」が彫られている大変貴重なものです。



浦賀

江戸幕府は、はじめ江戸湾に出入りする船の積み荷などを改める為、伊豆下田に「番所」を設けて管理しましたが、遠地の為に「抜け荷」等の弊害や、連絡が不十分なことから享保五年(1720)江戸に近い西浦賀に「浦賀奉行所」を開設しました。
 奉行所が設けられると、江戸ー浦賀間の交通が頻繁となったことから三浦半島に東西二本の公道が設けられました。西側の「浦賀道」は東海道の「平塚宿」より岐かれて、鎌倉道に入り鎌倉を経て葉山・木古庭・平作・池田の各村を通過して西浦賀に至ります。東側の「浦賀道」は、私たちにも身近なもので東海道の「保土ケ谷宿」より岐かれて、井戸ケ谷・上大岡・町屋・六浦の各村を通過し「浦郷村」(追浜行政センター管内)に入り現在の国道十六号沿いに浦賀へ向かいます。

※ここに祀られている「傍示堂の石塔群」は、武蔵国(六浦村)と相模国(浦郷村)との国境・村境を分ける急峻な天神山脈の尾根を南北に「浦賀道」を貫いて、お堂はその傍らに祀られ、この道を通る旅人や村人たちの願いを籠めた石塔群です。




◆豊海稲荷神社






神明社




隣の小さな祠は壊れてしまっている。




このちいさな祠からはこんな景色が見えた。




神社はこの上にある。
しんどかった・・・。






◆山之場トンネル



途中で見つけたマンション

こんな坂道にあるからエレベーターがついてるんだろうね。
ほんとにすごい坂道ばっかり。




◆深浦隧道



ものすごいところにビッシリと家が建ち並んでいる。
がけ崩れなど起こしたら大変だろうなあ・・・。
旅はまだまだまだまだ続く。