2017/10/05 外濠散歩 02 三崎橋/小石川橋/牛込見附跡/牛込橋/富士見二丁目

飯田橋駅周辺までやってきた。
このあたりはだいぶ散策しているはずなんだけど、まだ行ってないところが残ってる。



◆三崎橋




右側に見えるのが三崎橋。





◆小石川橋

向こうにTENQが見える。
行ってみたい施設の一つだ。




右下に見える取水口みたいなのなんだろう?




水道橋分水路と書かれてるね。






◆牛込見附跡






 正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。 江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式をとっています。
 この牛込見附は外堀が完成した1636年に阿波徳島藩蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。 これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。
 江戸時代の牛込見附は田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、 また周辺には楓が植えられ秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。
 その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、下図のように現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。
この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。
 足元には、かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。




◆牛込橋








 この橋は、「牛込橋」といいます。
『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と牛込方(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
 最初の橋は、寛永十三(1636)年に外堀が開かれた時に阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
 現在の橋は、平成八年三月に完成したもので、長さ四六メートル、幅一五メートルの鋼橋てす。




◆富士見二丁目




江戸城の名残である外堀(外濠)に面したこの界隈は、武家の屋敷が立ち並ぶ地域でした。当時、武家地には正式な町名がなく、道筋に土手四番町(どてよんばんちょう)、裏四番町通(うらよんばんちょうどおり)などと呼称が付いていただけでした。「富士見」という町名が生まれたのは明治五年(1872年)のことで、九段坂を上ったあたりから眺める富士山の姿がじつに素晴らしいことから付けられた名前です。九段坂を上りきった台地(現在の靖国神社周辺)に富士見町一丁目〜六丁目が誕生しました。
昭和八年(1933年)、富士見町四丁目は富士見町三丁目と改称します。同じ年、富士見町五丁目と飯田町六丁目の一部が合併し、富士見町二丁目となりました。そして昭和四十一年(1966年)、住居表示の実施にともない富士見町二丁目と富士見町三丁目、飯田町二丁目の一部が合併して、現在の富士見二丁目が誕生したのです。
現在、当町会は東西に約800メートルの長さがあり、東京のお伊勢さまといわれる東京大神宮をはじめ、衆議院議員宿舎など、名のある建物が多数存在しています。また、大学や病院など教育・医療機関も充実しています。JRと四本の地下鉄が走るきわめて交通の便がよい立地で、緑が多く、住むにも働くにもよい町です。




千代田区の町名板って全部でいくつあるんだろう・・・
散歩名まだまだ続く。