2017/10/22 大久保散歩 江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ/淀橋市場まつり

24時間勤務アケに一人で大久保を散歩。
といっても台風が接近中だったのでお目当ての淀橋市場まつりに行ってきただけで終わっちゃった。


台風で国際基督教大学の泰山荘見学が中止になり、予定変更。
悲しすぎる。



まずはスタートの大久保駅




江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ

 天正十八年(1590年)、徳川家康が江戸入府の際、内藤氏らに率いられた伊賀組などの鉄砲同心は、江戸の西の警備にあたるために駐屯しました。関ヶ原の戦いの後、幕府は鉄砲組に組屋敷を与え、現在の百人町に定住しました。鉄砲組は、同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、百人町の地名の由来になりました。平時は、江戸城の警備にあたり、将軍が寛永寺日光東照宮などに参もうする際には警護にあたりました。
 大久保村付近は、つつじの自生地であったとされますが、鉄砲組は定住後、屋敷内で余暇を利用して、つつじの栽培を行いました。やがて名所として江戸で評判となり、「江戸名所図会」「江戸名所花暦」などに紹介されています。つつじ栽培は、明治維新以降、一時衰退しましたが、明治十六年に大久保躑躅園(つつじえん)が開園し、一万株ものつつじが栽培され明治時代には花見客でにぎわいました。明治天皇が、大久保つつじの短歌を詠まれ、それを記念した歌碑が皆中(かいちゅう)稲荷神社に建立されています。
 その後、日比谷公園ができると大部分のつつじが移され、町の発展の歴史と共に姿を消していきました。しかし、「大久保つつじ」への愛者は強く戦後になって毎年四月、ゆかりの深い皆中稲荷神社において、地元商店街の二世会の若者たちによって「大久保つつじ祭り」が行われるようになり、昭和四十七年には新宿区の花に指定されました。また昭和三十六年からは、「江戸幕府鉄砲組に百人隊出陣行列の儀」が地元有志の尽力により行われるようになり、平成十四年に新宿区無形民俗文化財として登録されました。




駅前のガード下にありました。




◆淀橋市場まつり







雨が強く降る中、たくさんの人が来てた。
これで雨が降ってなかったらもっとすごいんだろうね。
野菜などはものすごく安かった。
おいしそうな屋台も出ていた。



都のHPを見ると、
関東大震災以降、人口が急増した東京市の周辺区部や郡部の青果物供給拠点として、既設の民設13市場を統合し、昭和14(1939)年に淀橋区役所の隣に開設された青果市場です。』


とあった。
見学する際は特に申し込みの必要がいらないみたいで、自由見学みたいなので、今度誰か誘って行ってみようと思った。


詳しいことはこちらに載っていた。
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/kengaku/index.html#yodobasi



最後帰ろうと思って表に出たら神社が見えた!
ので、入り直してお参りしてきた。



市場稲荷神社



内田秀五郎氏の銅像

都のHPによると、
『井荻村(杉並区)の青年村長として数々の偉業を遺した内田秀五郎氏。都市計画史に残る先駆的な土地区画整理事業は有名です。また、農業振興のため青果市場開設に尽力したことも業績の一つです。淀橋分場の開場とともに新たに東京新宿青果株式会社を設立、戦後は東京都議会議長としても活躍されました。その銅像善福寺公園にあります。淀橋市場内にも胸像が建立されています。』
と、あった。



また同じ道を通って大久保まで戻り、散歩終了。
地元に戻って選挙に行ってご飯を食べて帰った。