2017/11/04 江古田散歩 08 正覚院/徳殿公園/下徳殿橋/江古田の森公園/北江古田遺跡

豊玉氷川神社の後は東へ向かう。
正覚院は氷川さんのすぐ隣だった。
また中野区に戻ったことになるのだが、どこが区境だったんだろう?(w



◆正覚院






 正覚院は真言宗豊山派の寺院で、山号を天満山といい、豊島八十八ヶ所霊場第7番札所です。寺伝によると太田道灌が長禄年間(1457-60)江戸城築城の際、ここ中荒井の陣屋にあった道灌崇敬の天満宮を守るため別当寺として創建したのが当寺で、市ヶ谷から立退かせた一農家を開基檀徒としたといわれます。隣の豊玉氷川神社境内社天満宮(北野神社)が最も古いという伝承もこのことをうかがわせます。
 明治の廃仏毀釈や火災で、寺の什宝など殆どが烏有に帰しましたが、寛永年間(1624-44)の記載がある過去帳と、それ以前といわれる涅槃(ねはん)像画が現存します。
 幕末から明治にかけて、ここで「筆道稽古所」という寺子屋が開かれ、地域子弟の教育に携わっていたことがあります。境内には以前、村内各所にあった庚申塔や、不動明王などの石造物が数多くあり、また観音堂前の「八子地蔵尊」は不幸な厄に遭った八人の幼児の霊を弔ったものです。





◆徳殿公園

子供が沢山遊んでいた。


変わったオブジェが二つ



区画整理




◆下徳殿橋






反対側は暗渠になってるようだ。
川の名前は「江古田川」



江古田の森公園




 この場所は、江戸時代には将軍のタカ狩り場に使われ、明治には茶や桑の生産地になり、みどり豊かで日光のあたる明るい場所でした。このような自然環境の優れたところでしたので、大正時代に結核療養所に選ばれました。
東京市は療養所を建てると同時に、その建物のまわりに、空気をもっときれいにしてくれる植物の苗を植えて育てました。「野方苗園」といわれる期の保育園のように使われたこの場所から、ハナミズキをはじめとする多くの植物が、各地へと旅立っていきました。





かなり広かった。



江古田川


調節池入り口

この先はかなり低地になっていて、江古田川の増水に備えられるようになっていた。



◆北江古田遺跡




 ここは、沼袋丘陵の東端、妙正寺川に沿ってひろがる、縄文時代早期・中期・後期にわたる低湿地遺跡です。特に中期(約4500年前)に属する、貯蔵穴(けつ)などに使われた土坑から、カゴやクルミなど貴重な遺物が出土しました。
 また、祭祀に使われたと思われる一群の土器も注目され、その中には、植物の繊維を撚ってタガをかけた、赤塗りの珍しい浅鉢があります。この他に,投網の先につける、どきの破片でつくったオモリ(土錐)が多量に発見されました。この時代の人々が植物や動物のほかに妙正寺川あたりの魚をとって暮らしていたことがうかがわれます。



続く。