桜の季節に一度来たことがある。
月に1度と文化財ウィーク期間中は普段見られないところを公開している。
哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、文部省より大学公称の許可を得たものを記念し四聖堂を建立。(明治三七年)したことに始まります。その後、自らの退隠所及び一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備しました。
大地部分の広い範囲は「時空岡(じくうこう)」と称する中心広場都市、四聖堂などの主要施設を設けています。南側低地部に「唯物園」と「唯心庭」を配し、道筋に「経験坂」や「二元衢」などの施行状況を示す場所を設定しています。舌状台地先端の立地と崖、川や泉の自然地形を利用し、哲学的空間・概念を巧みに配した特異な公園です。
四聖堂や六賢台、宇宙館などの建物は、井上円了の哲学的思想と奇抜な意匠により、哲学堂公園の代表的な建造物となっています。
井上円了の死後は財団による管理を経て、昭和一九年(1944)に東京都へ寄付されました。昭和二一年(1946)に「哲学堂公園」として開園、その後中野区へ移管され、現在の「中野区立哲学堂公園」となりました。
哲学堂は井上円了(1857〜1919)が、その独特な哲学思想をもとに、全財産を投じてつくった社会教育のための公園です。
円了は「諸学の基礎は哲学にあり」とし哲学堂を開きました。それは、様々な理由で教育を受けられない「余資なく、優暇(ゆうか)なき者」老若男女誰でもが学べる場、すなわち「精神修養的公園」と考えました。
ここで目指したのは、多様な価値観を理解し、先入観・偏見にとらわれない、論理的・体系的に深く考える人間の育成でした。
その方法とは「問う」ことであり「心理の追求」だったのです。そして、このような素養に満ちた人々による、社会の実現が円了の願いでした。
哲学堂は、現代にも通じる円了の思想を物語る歴史的文化資産です。
本堂の正門に当たり左右の天狗と幽霊は、もと、この地に天狗松と幽霊梅があったころにちなむとともに、前者を物質界、後者を精神界に存する不可解の象徴とみなしたものである。
本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの世界的四哲人を奉仕している。
ここに東洋六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真・中国の荘子・朱子、印度の龍樹(りゅうじゅ)・迦毘羅(かびら)を祀っている。
この建物は、参列所で、井上円了博士が国内外各地を周遊された時の、記念品など、種々雑多の物が陳列されていました。
建築物は二階建てで、一階は万象庫(ばんしょうこ)二階は向上楼(こうじょうろう)と名付けられています。
大棟の量はしには「龍」を模した飾り瓦の鵄吻(しふん)を見ることができます。
龍は水を呼ぶことから、棟に火災避けとしてつけられたものと思われます。
「鵄吻」をWEBで調べた。
鵄尾、蚩尾、鴟吻などとも書き、棟の両端を飾る瓦です。
とのこと。
哲学とは宇宙の真理を研究する学問で合って、その講話または講習を開かんがために設けられた講義室である。
「皇國殿」
本館(宇宙館)内部に横斜(おうしゃ)して位置する特殊構造の一室であり、国家社会の原理を講究(こうきゅう)する哲学堂として本殿が設けられたものである。
万巻の書物を読みつくすことは絶対の 妙境に到達する道程で合って、哲学界の万象はこの読書堂にありしとしてこの名がある。
正門の哲理門に対して普通の出入り口の意味で与えられた名称である。
他にもあったが、この辺で。
散歩はまだまだ続く。