24時間勤務アケで、新宿の西部、「落合」を散歩。
出発は高田馬場駅とエリア外からスタート。
◆志賀直哉旧居跡
文豪志賀直哉(明治十六年二月二十日〜昭和四十六年十月二十一日(1883年2月20日〜1971年10月21日))は、その生涯において転居20数回に及んだが、その居住した場所場所に材をとった名作を発表している。
氏は、昭和十三年(1938年)年4月より昭和十五年(1940年)年5月までの2年余この地(当時、淀橋区諏訪町)に夫人並びに6人の子女と共に居住した。
氏はこの地において大作「志賀直哉全集」(全9巻)を完結発表した他、「病中夢」「泉鏡花の憶ひ出」等の名作を次々と発表した。
なお5月、当地より世田谷区新町に転居し創作活動を続けた。
神田川に架かる橋です。
写真は清水川橋から撮った。
説明板もなく、google mapのマークの位置は川の中みたいだったので、
その場で調べるのは断念。
で、WEBで調べてみると、「江戸名所図会」に・・・
『落合の近傍、神田上水の白堀通りにありて一堆の巨巌水面に彰れ藍水巌頭にふれて飛灑す。此水流に鳥居が淵、犀が淵等その余小名多し。此辺は都て月の名所にて、秋夜幽趣あり』
と紹介されている場所で、景勝地だったとのこと。
神田川の中でも一番川幅が狭くV字型になっており、両側を岩に挟まれた渓谷のような場所であり、この少し上流では妙正寺川、善福寺川が合流していたため、洪水の多発地帯だったとあった。
今では殺風景なことこのうえないね・・・・。
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斎藤隆一先生胸像
皇室の御髪奉導役(おぐしほうどうやく)だったとのこと。
1950年 「斎藤会」という名称で学校を設立。中央理美容専門学校 の創設者で理容の父と呼ばれるとのこと。
御髪奉導役をWEBで調べようとすると、この斎藤先生のことが出てきて、具体的なことまでたどり着かなかった。
<山手線新井薬師道ガード>
ガードの向こうが山手線の内側。
帰ってから調べると「学習院昭和寮」があったとのこと。
面白いブログを見つけた。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-11-16
続く。