2018/11/05 01 日暮里散歩 06 榎本屋/朝倉彫塑館/龍泉寺/霊梅禅院/幸田露伴居宅跡/日暮里駅

日暮里駅西側エリアを散策。
谷中霊園脇絵を通って日暮里駅に行く。
敵視散歩している人がポツリポツリいらっしゃった。


◆榎本屋

WEBで調べると紙製品を販売とあった。
立派な建物だね!



◆朝倉彫塑館



 近代日本を代表する彫塑家、朝倉文夫(1883~1964)の邸宅兼アトリエである。
 朝倉は明治十六年大分県で生まれ、同四十年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科を卒業後、当地に住居とアトリエを新築した。その後改築、増築を繰り返し、現存の建物は大半が昭和重年の竣工である。すべて朝倉が設計し、銘木、竹などの材も自ら選んだ。庭との一体感に配慮した独特の空間意匠、造詣が追求され、随所に彫塑家朝倉の個性を見ることができる。
 中庭は、木造和風の住居棟と近代洋風建築のアトリエに囲まれた日本庭園で、空間の大半を水面が占めている。水面に配された5つの巨石が密度の濃い水景を創り上げ、朝倉の藝術思想の特質である自然観をもうかがえる。屋上庭園は、かつて、朝倉が昭和2年に自邸とアトリエにおいて開設した「朝倉彫塑塾」の塾生が蔬菜を栽培し、日常の園芸実習の場として使われた菜園であった。昭和初期に遡る屋上庭園の事例としても基調である。
 昭和四十二年、故人の遺志によって一般公開され、同六十一年には台東区に移管され「台東区立朝倉彫塑館」となった。
 平成十三年、建物が国登録有形文化財に、本館所蔵の文夫の代表作「墓守」の石膏原型が重要文化財指定を受けた。同十九年には、建物と庭一帯が国名勝の指定を受けた。




龍泉寺


龍泉寺信徒会館と供養塔


妙鶴観世音菩薩




◆霊梅禅院





幸田露伴居宅跡




 幸田露伴は、明治二十四年一月からほぼ二年間、この地(当時の下谷区谷中天王寺町二十一番地)に住んでいた。ここから墓地に沿った銀杏横丁を歩き、左に曲がると天王寺五重塔があった。五重塔寛永二十年(1643)に感応寺(天王寺の前身)の五重塔として創建され、明和九年(1772)二月に焼失、寛政三年(1791)棟梁八田清兵衛らにより再建された。露伴は当地の居宅より日々五重塔をながめ、明治二十四年十一月には清兵衛をモデルとした名作『五重塔』を発表した。同二十六年一月、京橋丸山町(現、中央区)へ転居したが、現在もかたわらに植わる珊瑚樹は露伴が居住していたころからあったという。
 露伴は慶応三年下谷三枚橋横丁(現、上野四丁目)に生まれ、すぐれた文学作品や研究成果を多数発表するなど、日本文学史上に大きな足跡をのこした。昭和二十二年七月没、墓所大田区池上本門寺にある。




◆日暮里駅

ゴールのJR山手線日暮里駅。



お寺さんの多いエリアだったね。
西日暮里から日暮里までは直線距離だと大したことがないが、じっくり史跡を見ながらだとなかなか手ごわいね・・・。