2018/11/07 千駄木散歩 05 お化けだんだん/千駄木ふれあいの杜/汐見坂/解剖坂/夏目漱石の旧居跡/日本医科大学/日本医科大学付属病院

ここでもどんどん南に進む。
急坂が多くて大変・・・・・。
名前もない坂も多いのではないだろうか。

◆お化けだんだん



かなりキツイ階段。
住民は大変だろうなあ・・・・。



◆駄木ふれあいの杜




 江戸時代、この辺りは太田道灌の子孫である太田備中守資宗が三代将軍徳川家光から賜った下屋敷で、現千駄木1丁目一帯に及ぶ広大な屋敷でした。そこからの眺めは、「太田備牧駒籠別荘八景十鏡誌・画巻」(詩:林鵞峯・筆:林梅洞・画:狩野安信)に描かれています。
そこには涌き水を源泉とする池があり、明治以降これは「太田が池」と呼ばれました。近くには森鴎外夏目漱石らの文人が住まいを構え、その作品の中に当時の風景を書き残しています。
 昭和の初めまでに「太田が池」はなくなりましたが、昭和40年代まで屋敷内の庭には涌き水が残っていました。しかし時代の変遷とともに、その涌き水も涸れ、本郷台東縁崖線の姿を伝える崖地の緑も、現在は「千駄木ふれあいの杜」を残すのみとなりました。
 「千駄木ふれあいの杜」は、所有者である太田氏(道灌の子孫が現存していることに驚きました)と文京区との間で契約が結ばれ、平成13年10月より市民緑地として一般公開されてきましたが、できる限り樹林を後世まで残すよう配慮することを条件として、平成28年3月に太田氏より区に寄附されました。
 区ではその意向に沿うよう、都市に残る多様な動植物の生存空間(生物多様性)の保全をする都市公園(都市林)と位置づけ、多くの方が自然に親しんでいただけるよう公開しています。



中に入ったとたん蚊がいっぱい寄ってきた。
11月だというのに暖かいものなあ・・・・。
早々に退散した。




◆汐見坂

google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。
webで調べると「汐見坂」との文字が彫られた石碑が建っている・・とのことだったが、なかったなあ・・・・。
由来はわからなかった。



◆解剖坂

google mapにあったので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。
WEBで調べてもハッキリした説明は出てこなかったけど・・・・。
医科大の前にあります・・・・。
あとは想像してみてください・・・・・(汗




夏目漱石の旧居跡



 夏目漱石 本名・金之助。慶応3年~大正5年(1867~1916)小説家。この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月(現在の西片1丁目に移るまで)3年10ヶ月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)
 当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。その作品『吾輩は猫である』の舞台として“猫の家”と呼ばれ親しまれた。この地で『倫敦塔』『坊っちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわした。漱石文学発祥の地である。
 漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。鴎外は、ここから団子坂上の観潮楼へ移っていった。
 二大文豪の居住の地、漱石文学発祥の地として、近代文学史上の重要な史跡である。旧居は愛知県犬山市の「明治村」に移築保存してある。




吾輩は猫であるのネコちゃん。
最後はどうなったかみなさんおぼえてらっしゃいますか?




日本医科大学



日本医科大学付属病院



続く。