2018/11/07 千駄木散歩 07 新町館(三宅家住宅)/中坂/胸突坂/公益財団法人 同志会/誠之館跡/旧駒込西片町/日本基督教団西片町協会

この日記のエリアでもどんどん南へ進む。
この日の散策エリアの旧町名は「駒込〇〇町」というのが多いね!



◆新町館(三宅家住宅)

歩いていて立派なお宅だなあと思って通りすぎようとしたとき、玄関に文化財の証であるプレートがあるではないか!
ということで、文化財のナンバーをメモし、家に帰って調べてみる。
たまーに公開もしているようなので、行ってみようと思う。





◆中坂

google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。
「胸突坂と浄心寺坂との間に坂あり、中坂といふ」(『新撰東京名所図会』)
とのことで、由来までは判らなかったが、間(中)にあったということだと思う。




◆胸突坂




「丸山新町と駒込西片町の界にある坂を胸突坂といふ。坂道急峻なり、因って此名を得、左右石垣にて、苔滑か」と『新撰東京名所図会』にある。
 台地の中腹から、本郷台地に上る坂、坂上から白山通りをへだてて、白山台を望む。「胸突坂」とは急な坂道の呼び名で区内に三ヶ所ある。
 この坂のすぐ南の旧西片町一帯は、福山藩の中屋敷跡で「誠之館」と名づけた江戸の藩校があったところである。





◆公益財団法人 同志会

wikiには「東京都文京区西片に男子学生寮「同志会学生寮」を運営している公益財団法人。」とあった。
同志会 (公益財団法人) - Wikipedia






◆誠之館跡

google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。
工事しているみたいなので撤去しちゃったかな?
上記「胸突坂」の中に”福山藩の中屋敷跡で「誠之館」と名づけた江戸の藩校があったところである。”とあるが、この場所だろう。





◆旧駒込西片町




 江戸時代は、備後福山藩主の阿部丸山屋敷と、幕府の徒士(かち)組(将軍の警護と先ばらい)の屋敷であった。
 当時は、東片町向側といっていた。中山道をはさんで、駒込東片町の反対側にあったからである。明治5年、東片町に対して西方町の町名をつけた。
 明治以降、学者や文人が多く住み学舎町といわれた。





日本基督教団西片町協会




続く。