2018/11/05 01 日暮里散歩 02ろくあみだみち/南泉寺/法光寺/諏訪台/地蔵坂/諏訪坂ガード/東京変電技術センター

この日記のエリアは地図で見るとどこでもすぐに行けそうな感じがするけれど、実際に行ってみると起伏が激しく、よく考えて移動しないとものすごく遠回りすることになる。
結局ウロウロしっぱなしで、時間がかかってしまった。



◆ろくあみだみち




google mapには載っていなかった。
WEBで調べても情報が得られなかった。
右側面と左側面に地名が刻まれていたので道標だと思われる。



この道標の近くのビルの屋上にラクダのオブジェがあった。
下はお店だったのかな?
移転したような案内が出ていた。



◆南泉寺
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初代・二代・松林伯円の墓

墓地にまで入らなかったので門前にあった史跡だけ写真に撮った。
wikiで調べた。
「松林 伯圓(しょうりん はくえん、新字体:伯円、また「松林」は「まつばやし」とも)は、講釈師の名跡。 」
とあった。



美濃遠山氏の聖観音

 山号を瑞応山と証する臨済宗妙心寺派の寺。元和2年(1616)徳川家から境内3200余坪を拝領し大愚が開創した。その後、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)朱印地30石を賜った。
 本堂内の木造聖観音立像は、美濃遠山氏の念持仏。厨子に遠山氏の家門、「遠山家 息心庵本尊、正観音菩薩安政四年丁巳七月十日」の銘がある。上半身等に江戸期の補修が加えられているが、鎌倉期の作と推定される。その他。善光寺阿弥陀三尊の一部と思われる銅造菩薩立像を所蔵。境内には、菅谷不動、講談師松林伯円の墓等がある。






◆法光寺

水撒きの邪魔をしたら悪いと思って中には入らなかった。
外からお参り。



◆諏訪台



 諏訪台は、縄文・弥生時代から人々が生活を営んでいた場所であり、景勝の地としても知られている。
 江戸時代、四季折々の景色を楽しむ客でおおいに賑わった。安藤広重の『名所江戸百景』の中にも諏訪台の春景色が描かれている。また、「土器投げ」という遊びが流行し、「花の散るたびに土器それるなり」など川柳にも詠まれた。
 享保十三年(一七二八)浄光寺の住職宝山が、『諏訪浄光寺八景詩歌』を板行。筑波茂陰・黒髪晴雪・前畦落雁・後岳夜鹿・隅田秋月・利根遠帆・暮荘炬雨・神祠老杉の八景を巧みに詠んだ諸家の詩歌が収められている。



今でもとても眺めは良い。
特に電車好きにはたまらないだろうね。



谷中ショウガ

 諏方神社周辺(荒川区西日暮里2丁目、5丁目)は、かつて江戸時代からショウガの産地で、農家の人達は豊作の祈願に当社を訪れました。
 シヨウガは、保水力のある肥よくな土壌で栽培すると、柔らかく品質の良いものが穫れますが、この環境にぴったりの谷中で穫れるショウガはあまり辛くもなく、クリーム色の地下茎の節に赤味が入り美しく、スジも少なく味噌をつけて食べると、歯ざわりと風味が良く、江戸庶民の好んだ野菜の一つです。
 収穫時がちょうどお盆の時期にあたるため、商人や職人、谷中の寺社等が、お中元の贈答品に利用したため江戸中の評判になり、ショウガの特産地となりました。以来、「谷中」の名はショウガの代名詞となり、今でも粋な符丁として、市場や居酒屋等で呼ばれています。
 明治16年に上野と熊谷の間に鉄道が敷かれて急速に市街化が進み、大正末期には尾久、さらに荒川を渡って埼玉県へとショウガの産地は移って行きました。



◆地蔵坂




 この坂は JR西日暮里駅の西わきへ屈折して下る坂である。坂名の由来は,諏訪神社別当寺であった浄光寺に,江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵尊が安置されていることにちなむという。



◆諏訪坂ガード

諏訪台から見た眺めではものすごい数のレールがあったけど、その下をくぐるガードなので、長い。
地蔵坂を降りたところにあり、西日暮里駅のすぐ脇にあった。
駐輪場となっていた。





◆東京変電技術センター

WEBで調べると変電所のようですね。
門外漢なのでそれ以上のことは判らないけど、変電所好きさんがいらっしゃるみたい。
世の中にはいろんなことに興味を持つ人が居るんだね!


続く。