あけぼのばし通り周辺を散策する。
以外と賑わっていた。
フジテレビがあった頃はもっと賑やかだったのかなあ?
『新編東京名所図会』に「安養寺は 念佛坂の少しく北の方を 西に大久保余丁町に上る坂路をいふ。傍らに 安養寺 あるに因めり」。
安養寺坂の坂名となった 安養寺は,浄土宗知恩院末の寺院でもと市谷左内町 富士見坂のあたりにあった。それが尾張藩邸内ということで,現在地に移ったという。
◆台町坂
とくに説明板などはなかった。
この交差点の名前から推測しているだけである。
◆名前のわからない坂
人通りの多い坂だったが、とくに説明板などは設置されていなかった。
「丸正」創業者「飯塚正兵衛」は飯塚善次郎と妻とりの 五男として埼玉県北足立郡鴻巣町大字生出塚町(旧地名) に生まれた。 「正兵衛」二十三才の年、大正八年十二月 二十四日「青雲の志」を立て上京、四谷鮫ヶ橋にて引売八 百屋を営む。 大正十年五月二十五日牛込 区市ヶ谷谷町百番地(旧地名)当地に 妻「かね」を迎え同時に八百屋商「武 蔵屋」を開業した, 創業以来五十八年 その努力は実り「正兵衛翁」八十才に して「丸正チェーン店」は百店舗にま で発展した。 「丸正」の発展に尽力した 「物故者」の霊を慰め, 「青果物」の供養と共に「翁」 の創業の精魂を後世に伝えるために, ここ「丸正創業之 地」に「大魂塔(大根塔)」を建立する。
スーパーマーケット、丸正の発祥の地ということらしい。
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くらがり坂ともいう。江戸時代中期より広く知られ、『御府内備孝』に暗坂、『江戸名勝誌』にくらがり坂の記載がある。坂名は、この坂の片側の全長寺墓地の樹林が茂り、暗かったためこう呼ばれたという。なお、暗闇坂は明治以降の熟語で、本来は暗坂と書いた。
続く。