2018/12/13 両国散歩 01 両国駅/陸奥部屋/横網町架道橋/百本杭跡/北越製紙ビル/ライオン

24時間勤務アケで、両国周辺を散歩。
両国エリアは何度か来たことがあるが、
今回は駅から西側を細かいところまで散策する。



両国駅







陸奥部屋




 師匠は九代・陸奥一博(元大関・霧島)。
 幕内採光優勝一回、殊勲賞三回、敢闘賞一回、技能賞四回の成績を残し、平成八年(1996)三月場所限りで引退した井筒部屋所属の大関・霧島が、年寄・錣山(後に勝ノ浦に名跡変更)を襲名し、部屋付き親方として後進の指導に当たっていました。
 平成九年(1997)十二月、相撲協会を退職する八代・陸奥(元前頭・星岩涛)から名跡を継承、また、平成十二年(2000)九月には、立田川親方(関脇・青ノ里)の定年退職に伴い、立田川部屋を吸収合併しました。
 現在の陸奥部屋の創設者は、七台陸奥(井筒部屋所属、前頭、星甲)で、昭和三十九年(1964)五月に引退、年寄、君ケ濱を襲名、井筒部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった後、昭和四十九年(1974)四月、今度は、井筒より陸奥名跡変更するという経緯をたどっています。




横網町架道橋

上は総武線




◆百本杭跡




 百本杭とは、総武線鉄橋あたりの隅田川の湾曲した東側の部分に打たれていた護岸のための杭で、ここからほど近い川中にありました。川の流れを和らげて、土手を保護する役目を負っていました。その辺りは、明治中頃までは鯉の釣り場として有名で、釣り好き幸田露伴もよく出かけたといわれています。
 その風景も見事だったため、広重の「東都名所」にも描かれていますし、最後の浮世絵師といわれる小林清親が「千ぼんぐい両国橋」や「東京両国百本杭暁之図」として、浮世絵に描いています。
 また、歌舞伎の「色街模様薊色縫」の稲瀬川百本杭の場」で、かなわぬ恋をした二人が身を投げて心中する場所とされています。






北越製紙ビル

北越製紙さんが入っているのかと思っていたら、ビルのオーナーみたいだね。





◆ライオン




ライオンの本社・・・・と思ってたんだけど、こちらは「東京オフィス」とのこと。
本社はもう少し北に行ったところにあるみたいだ。



続く。