2018/12/13 両国散歩 03 刀剣博物館


ぐるっとパスです。
以前は代々木にあって、一度だけ行っている。
ovanrei.hatenablog.com




以前と比べて展示スペースが広くなっているように思う。
やはり日本刀は美しい。
光の加減で見え方がまるで違う。
企画展示ごとに丸ごと入れ替えているのかな?
相当な数の収蔵品があると思われる。
また機会があったら来てみたい。



1F入り口付近には胸像などがあった。



寒山 佐藤貫一先生

佐藤貫一先生は、明治40年山形県鶴岡市に生まれた。大正14年國學院大學に入学、本間順治氏とともに、しばしば刀剣の会を催した。昭和23年東京国立博物館刀剣室に勤務し、刀剣専一の途を進む。終戦による日本刀最大危機に際し、財団法人日本美術刀剣保存協会を有志とともに設立し、日本刀を美術品として保存、所有することができるようになった氏の功績は偉大である。
博物館に奉職し、広くほかの美術の分野にも親しむこととなり、鑑識は一段と冴えを見せるとともに後進の育成にも情熱を注いだ。昭和30年刀識者の伝統技術の保存、工場を目的に作刀技術発表会の制度を設け、後に新作名刀展へと発展している。昭和43年全国哀悼彼の念願であった刀剣博物館を代々木の地に竣成した。また、刀剣界発展のため、たたら製鉄の復活に心血を注がれ、日刀保たたらとして操業を再開した。日本刀を愛し、人を愛し、多くの人から慕われた佐藤寒山先生の遺徳を偲び像を建立。平成29年新たに刀剣博物館を建設するに際し、ここ墨田区横網に移設し長く先生の徳を景仰するものである。」




薫山 本間順治先生

本間順治先生は、明治37年山形県酒田市の名門に生まれ、若くして日本刀の研究を志して國學院大學に入学、刀剣学を樹立し文学博士の称号を得られた。その間昭和20年大日世界大戦の終戦に際し、進駐軍は日本刀のすべてを武器とし没収、廃棄しようとした。先生は敢然日本刀の美術面を強調して遂に彼等を説得し、これにより世界に誇る鉄の文化財日本刀は永久に保存されることとなった。その功績は刀剣史上真に比類ないものである。先生は終戦後の混乱した刀剣界の再興を図り、主唱して財団法人日本美術刀剣保存協会を設立された。これが刀剣界の今日の未曽有の盛況を見る源泉となったことは周知のとおりである。
昭和49年先生が古希の寿を迎えられるにあたり、先生の弥栄と万歳の寿を祈って、全国の愛刀家の間に胸像建立の運動がおこり、有志一同により、先生が同志と心血を注いで建設された代々木の刀剣博物館玄関に愛息本間紀男氏制作による像が建立された。平成29年新たに刀剣博物館を建設するに際し、ここ墨田区横網に移設し長く先生の徳を景仰するものである。



日刀保たたらと鉧(けら)




公益財団法人日本美術刀剣保存協会が運営する「日刀保たたら」は、重要無形文化財及びその保持者を支える技術を定める国の「選定保存技術」制度の認定を受けた文化財保存技術である。
毎年冬季に古来からの方法をほぼ完全なまま踏襲した工程による操業を行い、ここに展示してある鉧を産出する。原料として、山陰から産出される「真砂」とよばれる良好な砂鉄を約10トン、そしてたたら製鉄用に生産された「たたら炭」約12トンを三昼夜燃焼させ、平均2.5トンの重さを持つ鉧が毎回の創業で生産される。
創業終了後、鉧は大※1金胴 、小※2金胴 という道具で拳大ほどの大きさになるまで破砕されたあと、全国の刀匠へと供給され、貴重な日本刀製作技術の保存伝承に日々貢献している。

※1、※2 金へんに胴 で一つの漢字。




日本刀の保存に庄内出身者が大きく貢献したんだね。
誇りに思う。



刀剣博物館のHPはコチラ↓
https://www.touken.or.jp/museum/www.touken.or.jp



場所はJR総武線 両国駅から徒歩7分
休館日は毎週月曜日(祝日の場合開館、翌火曜日休館)・展示替期間・年末年始とのことですが、行かれる方は必ずHPなどでチェックしてから行ってくださいネ!





続く。