前の日記のエリアからさらに北に進むみ、栗本鋤雲住居跡から西へ転進。
◆駆逐艦初霜錨
この錨は歴史ある日本海軍駆逐艦初霜の錨である。初霜はさきの大戦に北はアリューシャン、南は佛印、シンガポール、比島にわたる広い太平洋海域で勇戦、最後は昭和20年4月戦艦大和沖縄特高作戦にも参加し、同年7月30日宮津湾に於いて対空戦闘中触雷擱坐して任務を終わった。終戦時には日本海軍の駆逐艦203隻の多くが遠い海に沈み、残存の33隻の内はほとんどを連合国に接収された。初霜は日本に残り解撤され、その錨がこれである。
私は昭和15年軍医長として初霜に乗組み作戦に参加した。縁あって私のところに来たこの錨を伝統ある帝国海軍の遺産として長く後世に残しておきたい
文政五年(1822)神田に生まれ、奥医師となる。その後、フランス人との交流で国際感覚を身につけ、軍艦奉行、外国奉行を歴任し、フランス式軍隊の伝習などフランスの諸知識を日本に導入した。維新後は新政府に仕えず、この北二葉町四一番の借紅園に移り新聞界で活躍し、初代本所区議会議長もつとめた。明治三十年(1897)この地で没す。
google mapに載っていたので来てみた。
しかし説明板など何もなかった。
WEBで調べても全然わからなかった・・・。
続く。