2018/01/11 麹町散歩 01 佐野善左衛門宅跡/御厩谷坂/バチカン大使館/櫛田孫一旧居跡/滝廉太郎居住地跡

24時間勤務アケで、麹町散歩。
スタートは四ツ谷駅
永田町付近まで歩いてまた四ツ谷駅へと戻ってきた。



◆佐野善左衛門宅跡




 標識の後ろ側、大妻学院の辺りには、元禄十一年(1698)から、旗本佐野家の屋敷がありました。佐野家は、禄高五〇〇石で、代々、江戸城の警備を勤めていました。天明四年(1784)三月二十四日、ときの当主佐野善左衛門政言 は、江戸城中之間において、老中田沼意次 の子で若年寄の田沼山城守意知に斬りつけました。田沼意知 は傷がもとで四月二日に死亡し、佐野政言 も翌日切腹を命じられ、御家断絶となりました。しかし、世間の人々からは「世直し大明神」とあがめられました。また、佐野家の屋敷には桜の名木があり、番町の名物として知られていました。



◆御厩谷坂




この坂を御厩谷(おんまやだに)坂 といいます。『新撰東京名所図会』には「一番町と上六番町との間、すなわち井伊家邸前より南の方に係れり。厩谷もと御厩谷という。むかし徳川将軍家の厩舎ありしに因り此名あり。」と記され、『新編江戸志』にも「今も紅梅勘左衛門殿やしきに御馬のあし洗いし池残りてあるなりというと見えたり」とあります。御厩谷にかかる坂ということにより坂名となりました。




バチカン大使館

すごく立派な門があって眺めていたら、バチカン大使館の建物があった。
すごくビックリ。




◆櫛田孫一旧居跡




哲学者・櫛田孫一(1915〜2005)は人生、山、植物などのテーマでエッセイなどを残した。昭和13年から数年間ここに住んだ。




滝廉太郎居住地跡




 滝廉太郎 は、この交差点から西に100メートル程の所(一番町六番地ライオンズマンション一番町第二)に、明治二十七(1894)年ごろから三十四(1901)年四月まで居住していました。今日でも愛唱されています名曲「花」・「荒城の月」・「箱根八里」・「お正月」・「鳩ぽっぽ」など、彼の作品の多くはそこで作られました。
 滝廉太郎は明治十二(1879)年東京に生まれ、幼少期より音楽に対する才能を示し、同二十七年東京高等師範学校付属音楽学校専修科(後の東京音楽学校)に入学しました。優秀な成績で卒業した後は、母校の助教授として後進の指導にあたりました。
 明治三十四年、文部省の留学生としてドイツのライプチヒ国立音楽学校に学びました。しかし、病を得て帰国し、大分の父母のもとに帰り療養しましたが、家族の手厚い看護もむなしく、同三十六(19.3)年六月二十九日死去しました。日本の芸術歌曲の創始者ともいわれています。
 滝廉太郎が、一番町に暮らしていたことを偲び、毎年九月下旬には地元町会の主催で「滝廉太郎を偲ぶ会」がこの場所で開催されています。



続く。