2018/01/15 神楽坂散歩 03 柳稲荷大明神/試衛館跡/正一位稲荷神社/水野原通り/法身寺/稲荷神社/宝禄稲荷

この日記の辺りは、車が路駐していたり、電柱の工事していたりして写真が撮れない場所があったので、他の場所を巡って戻ってくることにした。
なので、土地を知っている人には順番が滅茶苦茶のように見えると思う。



◆柳稲荷大明神




◆試衛館跡

左に見えるのが次のお稲荷さん



 幕末に新撰組局長として知られる近藤勇の道場「試衛館」は、市ヶ谷甲良屋敷内(現市谷柳町二五番地)のこのあたりにました。この道場で、後に新撰組の主力となる土方歳三沖田総司などが剣術の腕をみがいていました。




正一位稲荷神社




施錠されていて近くに行くことができず、柵の外からお参りした。
神社の名前もわからなかったのでズームにして撮ってみた。
一位稲荷の文字が見えたのでおそらく「正一位稲荷」で合ってると思う。




◆水野原通り



江戸時代に紀州徳川家の附家老水野家の屋敷があったことから「水野が原」と呼ばれていた。



法身





大和田建樹終焉の地

 「鉄道唱歌」の作詞者として知られる、詩人大和田建樹(1857〜1910)は、ここ臨済宗法身寺の庫裡(くり)で亡くなった。
 建樹は、現在の愛媛県宇和島市宇和島藩士の子として生まれた。広島外国語学校(現在の広島県広島国泰寺高校)に学び、その後独学で国文学を研究し、明治十七年(1884)東京大学帝国大学東京帝国大学を経て現在の東京大学)の古典講習課講師、さらに東京高等師範学校(現在の筑波大学)教授となる。明治二十四年(1891)に文筆業に専念するため教職を辞し、新体詩の普及に努め、詩集「詩人の春」「いざり火」を発表したほか、「新体詩学」などの書籍も著した。また、「明治唱歌」「鉄道唱歌」などの唱歌の作詞も行い、特に「鉄道唱歌」は全国的に愛唱された。






◆稲荷神社

法身寺の正面にあったお稲荷さん。




◆宝禄稲荷神社










続く。