この日記の辺りは、車が路駐していたり、電柱の工事していたりして写真が撮れない場所があったので、他の場所を巡って戻ってくることにした。
なので、土地を知っている人には順番が滅茶苦茶のように見えると思う。
◆柳稲荷大明神
幕末に新撰組局長として知られる近藤勇の道場「試衛館」は、市ヶ谷甲良屋敷内(現市谷柳町二五番地)のこのあたりにました。この道場で、後に新撰組の主力となる土方歳三、沖田総司などが剣術の腕をみがいていました。
◆正一位稲荷神社
施錠されていて近くに行くことができず、柵の外からお参りした。
神社の名前もわからなかったのでズームにして撮ってみた。
一位稲荷の文字が見えたのでおそらく「正一位稲荷」で合ってると思う。
江戸時代に紀州徳川家の附家老水野家の屋敷があったことから「水野が原」と呼ばれていた。
◆法身寺
大和田建樹終焉の地
「鉄道唱歌」の作詞者として知られる、詩人大和田建樹(1857〜1910)は、ここ臨済宗法身寺の庫裡(くり)で亡くなった。
建樹は、現在の愛媛県宇和島市に宇和島藩士の子として生まれた。広島外国語学校(現在の広島県広島国泰寺高校)に学び、その後独学で国文学を研究し、明治十七年(1884)東京大学(帝国大学、東京帝国大学を経て現在の東京大学)の古典講習課講師、さらに東京高等師範学校(現在の筑波大学)教授となる。明治二十四年(1891)に文筆業に専念するため教職を辞し、新体詩の普及に努め、詩集「詩人の春」「いざり火」を発表したほか、「新体詩学」などの書籍も著した。また、「明治唱歌」「鉄道唱歌」などの唱歌の作詞も行い、特に「鉄道唱歌」は全国的に愛唱された。
◆稲荷神社
法身寺の正面にあったお稲荷さん。
続く。