2018/01/27 葛西散歩 04 旧葛西海岸堤防/西葛西八幡神社/中川/北葛西八雲神社/お地蔵様/豊栄稲荷神社

動物園の後はだいたい中川に沿って北上する。
北風がビュービュー吹いてものすごく寒かった。





◆旧葛西海岸堤防





 今では懐かしい潮の香りの中、ひっそりとたたずむ旧葛西海岸堤防。その淵源は、遠く江戸時代にさかのぼり、潮除堤(しおよけつつみ)が築かれておりました。
 かつての葛西沖には、三枚洲と呼ばれる遠浅の海岸が続き、魚介類の宝庫として、そこに暮らす人々に大いなる恵みを与えておりました。しかし、この豊穣の海は、台風や高潮などで度重なる被害をもたらす脅威でもありました。堤防の強化は、住民の切なる願いでありましたが、その願いとは裏腹に、第二次世界大戦の勃発や戦後の資材難と労力不足により事業は遅々として進みませんでした。
こうした中で、1949年9月に東京湾を襲ったキティ台風による高潮は、江戸川区内だけでも被害者6万2千人余りの甚大な被害をもたらしました。この災害を重大に受け止めた東京都は、早速、堤防工事に着手、1957年3月に延長4,461mの葛西海岸堤防が完成いたしました。
 その後、急速な都市化が進む中、地下水くみ上げなどによる地盤沈下で、堤防の嵩挙げ工事を繰り返さざるを得なくなり、伊勢湾台風規模にも耐えられる現在の高さの堤防として完成させるのに、1967年までかかりました。
 しかし、一方で、堤防は人と海との関りも遮断してしまいました。そのころ、東京湾の汚染は葛西沖にも押し寄せ、人々に魚業権を放棄させ、さらに、止むことのない激しい地盤沈下は、住民に新しいまちづくりを行う決断を強く迫りました。
そして、意を決した葛西の人々は、ひとかたならない勇気と決断、そして熱意で7地区575haの組合施行の土地区画整理を断行いたしました。その後、東京都も葛西沖開発土地区画整理事業を完成させ、380haにも及ぶ防潮堤の役割を兼ね備えた新たな土地を生みだしました。
 こうしてかつての葛西沖は、清新町や臨海町として生まれ変わり、さらに、葛西臨海公園には美しい海岸線も見事に甦り、海岸堤防は、葛西の大発展を見守りながら、その役目を終えました。
そこで、ここに旧葛西海岸堤防の一部を残したことを記した碑を建立し、海と共に生きた葛西の姿と先人たちの偉業を永遠にとどめたいと思います。














◆西葛西八幡神社






中に案内など一切ない神社だったなあ。














◆中川



荒川中川橋梁

東西線の車両が走ってる。














◆北葛西八雲神社















◆お地蔵様















◆豊栄稲荷神社

先程のお地蔵さんのすぐ脇の敷地にあった。



豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。元禄3年(1690)の創建と伝えられる古刹です。明治元年浅間神社の兼務となりました。
境内には稲荷大明神の小祠のほか何れも石製の稲荷鳥居と八幡鳥居・手水舎・狛犬一対・常夜灯一対・百度石・力石などがあります。
なお当社務所の堂宇は弘法大師を祀る新四国第5番の霊場ともなっており、毎年4月21日には区登録無形民俗文化財指定「葛西大師まいり」の巡礼者一行が立ち寄り経をあげ勤行します。
















続く。
※2021/11/21 レイアウト変更、加筆訂正しています。