24時間勤務アケで東葛西散歩。
葛西臨海公園からバスで葛西駅まで行き、その後は妙見島に立ち寄ってから、船堀まで歩いた。
◆浦安橋
奥の道路が盛り上がってるところが橋。
東京と千葉を結ぶ橋で、橋の下に「妙見島」という島がある。
島には降りることができ、散策してみた。
妙見島に降り立って見つけた祠。
調べてもわかりませんでした・・・。
◆妙見神社
◆長島香取神社
いつも参考にしているページには「茂呂香取神社」とあった。
茂呂香取神社|江戸川区東葛西の神社、旧長島村鎮守
長島の富士塚
お参りしたので富士山に登ったのと同じ御利益♪
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
長島の富士塚は、旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが、明治41年(1908)に造りました。現在の塚は大正6年(1917)に再築されたものです。塚の南側には「御山築設之由来」と刻まれた碑が建てられ、由来と二百名以上の講員がいたことが記されています。
塚の高さは約四メートルで、区内の富士塚の中では規模が大きいほうです。頂上には「浅間神社」と刻まれた石碑(明治41年銘)があり、上部はボク石(溶岩)、下部は丸い自然石で囲まれています。今でも、7月1日の山開きと、8月26日のかがり火たきの行事が行われています。
神楽殿
葛西蓮根
かつてこの地帯は、お盆の頃となると見渡す限りの蓮の葉に覆われるほど、蓮根栽培が盛んで、「葛西蓮根」の名は関西や東北市場にまで知れわたり、当神社が建っている大字長島はその中心地でした。
当地の蓮根は、江戸中期からわずかに作られていたようですが、明治中頃に田中徳右衛門が優良系統の試作に成功して以来、稲作より蓮根のほうが各段に儲かるとあって、栽培が急速に広まり、昭和40年代まで営々と続いてきました。
当地は江戸川や荒川が運んできた肥えた土と、深い田が多く、しかも、大都市に近いため、肥料として東京市中からでる下肥が入手しやすかった。このように肥料を大量に必要とする蓮根栽培にぴったりでした。まさに都市と農村を結ぶ見事なリサイクルであったわけです。
柔らかくて歯切れのよい葛西蓮根独特の風味は、見通しがきく縁起物ということもあって、市民に長く愛好されてきました。
続く。
※2021/11/09 レイアウト、説明版の文字化など変更。