2018/02/24 平井散歩 08 亀戸浅間公園/亀戸の富士塚/亀戸浅間神社/日本化学工業/亀小橋/旧南葛飾郡役場跡地/小松川さくら公園

亀小橋を渡ってまた江戸川区に入る。
行き当たりばったりの散歩過ぎてかなり効率の悪いルートになっちゃった。



◆亀戸浅間公園




◆亀戸の富士塚



 富士山を信仰の対象とする富士信仰は、江戸時代後期には「江戸八百八講」と呼ばれるほど多くの富士講を誕生させました。そのため、各地には富士山を模した富士塚が多数築かれ、講員はそれに登って富士登山の代わりとしました。
 亀戸の富士塚は、弟橘姫(おとたちばなひめ)の笄塚(こうがいづか)と伝えられている従来からあった塚を再利用する形となっています。頂上部は広く平坦に整地され、そこに浅間神社が富士山の方向(西南)を向いて鎮座していました。塚の側面は溶岩(黒ボク)で覆われ、山腹の正面(西南側)及び左右側面には、登山道に見立てた石段があり、麓にかけて石碑が23基、石猿が2体附属しています。このうち左側石段脇の烏帽子岩、左側面上部にある小御岳山碑、右側面石段脇の経ヶ岳碑の3碑は、当所の位置からは動いていますが、実際の富士山と共通させた「名所石」で、富士塚の構成上重要な石造物となっています。そのほかの石碑は、当地で活動していた富士講のひとつ丸富士講のもおで、明治以降の年号が彫ってあります。丸富士講は、亀戸・大島・南堅川(以上江東区)・柳原(千代田区)・向島墨田区)などの講員から成り、その活動は大正時代頃まで続けられました。
 平成九年(1997)、東京都によう亀戸・大島・小松川地区再開発事業に伴い、塚上にあった浅間神社は隣接地に移転しました。



◆亀戸浅間神社




道標



 この道標は、浅間神社亀戸天神社、常光寺(六阿弥陀)、浅草へ至る道しるべです。享和元年(1801)10月、良歓が願主となり、本所六ツ目の地蔵講中が建てました。堅川沿いの佐倉街道と、浅間神社に至る道との分岐点に、正面を東に向けて建っていたと推測されます。
 当時の絵図に見られるように、浅間神社から北西方向に道なりに進むと水神社に行き当たり、左手に折れると亀戸天神社へ、右手に折れると常光寺に至ります。浅草へは、常光寺から北十間川沿いの道をたどったものと思われます。
 道標は角柱型で、頂部は若干盛り上がっています。正面の緑・両側面・背面はノミ切り仕上げで、一定の幅でノミ筋を残しています。正面中央は一段低く彫り、表面を砥石による磨き仕上げとして、銘を刻んでいます。
 道標は、浅間神社ほかへの江戸時代以来の古い参詣道を示すとともに、江東区域の名所を表示するものとしても貴重な石造物です。また、近代以降、道の改変が行なわれていることから、江戸時代以来の古道を確認するための手がかいを与えてくれる、地域の資料として重要なものです。





稲荷人神社/下浅間社





◆日本化学工業 本社

こちらは聞いたことがある社名だと思っていたら、東証一部の企業さんだった。
1893年創業の工業薬品企業で、本社がこの建物とのこと。




◆亀小橋


都電が走っていた名残。





隣の逆井橋がよく見える。



◆旧南葛飾郡役場跡地

google mapに載っていたので来てみた。
役場跡についてもわからず、ここで合ってるのかどうかわからない。

南葛飾郡について調べてみたが、昔の「郡」についての知識がなく、そこから勉強し直さないとダメみたいだなあ。
チラッと調べてみると「郡」というものはかなり昔からあったみたい。
今度詳しい人に聞いてみよう。




小松川さくら公園




続く。