2018/02/26 清澄散歩 01 戦災殉難者慰霊之碑/黒船橋/門前仲町の火の見櫓/門前仲町駅/深川モダン館/伊能忠敬住居跡

24時間勤務アケで、JR京葉線越中島から都営新宿線清澄白河駅まで北上。
東西線木場駅付近まで南下し、越中島駅まで歩きました。



スタートのJR京葉線越中島駅


◆戦災殉難者慰霊之碑




◆黒船橋





門前仲町の火の見櫓



江戸時代、江戸の市中には葛西の早期発見のため多くの火の見櫓が建っていました。高さ三丈(約9m)ほどの櫓の上部には半鐘が取り付けられていち早く火災の発生を知らせてくれました。
 深川の南部にも佐賀町下の橋際(佐賀二)富吉町(永代一)門前仲町などに火の見櫓が立てられていました。
 なかでも門前仲町の櫓は今の門前仲町の交差点付近かつての富岡八幡宮一の鳥居近くにありました。周辺は永大寺富岡八幡宮三十三間堂といった江戸名所が集り現在同様に門前町としておおいに賑わっていた場所です。
 この櫓は深川一の繁華街を守るという大きな役割をはたしていました。「災害のない街」を願う気持ちは今も昔も変わりません。




門前仲町駅



◆深川モダン館(旧東京市深川食堂)




 東京市深川食堂は、東京市が社会事業施策として、大正九年(1920)から順次設置した一六カ所の市設食堂 のひとつです。延床面積は一〇六坪。関東大震災の復興事業の一環として、昭和六年(1931)に着工、翌七年三月に竣工しました。市設食堂とは低所得者のために安くて栄養のある食事を提供する施設のことです。一一年に閉鎖されましたが、一三年に東京市深川栄養食配給所として活動を再開、東京大空襲で被災しましたが全焼をまぬがれ、戦後部分修復して、東京都の職業斡旋施設となり、三二年には授産機能、三六年には福祉機能が追加されました。五四年に江東区へ移管され、「江東区内職補導所」と改称し、数度の名称変更を経て、平成一八年に閉鎖されるまで利用されました。
 構造は二階建て鉄筋コンクリート、外壁はモルタル下地吹上仕上げ。大震災の教訓を活かし、当時の最先端技術である鉄筋コンクリートが採用されました。デザインの特徴は、明るく開放的な吹き抜け空間になっている階段室と、二階南側のスチール・サッシュ窓にあります。震災復興の近代建築物としての希少性が認められ、平成二〇年に国登録文化財に登録されました。



伊能忠敬住居跡



伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡(高橋至時)に測量術を学び寛政7年(1795)幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した。その測量の原点は伊能忠敬の居宅であった。伊能忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した。伊能忠敬は文政元年(1818)4月13日74歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている。



続く。