2018/02/26 清澄散歩 07 行成稲荷/延命地蔵尊/子育て地蔵尊/白笹稲荷/善徳寺/雲光院/龍光院

前回の日記、清洲寮からは南下。
またお寺のまとまっているエリアに入っていく。




◆行成稲荷神社





延命地蔵




◆子育て地蔵尊




◆白笹稲荷






◆善徳寺



綺麗ですな♪



雲光院


阿茶の局の墓

阿茶局は今川氏の巨神尾忠重の妻であったが夫の死後徳川家康に仕え阿茶局と称し慶長十九年(1614)大阪役のとき死者として大阪城に入り淀君に面接して和議成立に力を尽し天和六年(1683)2代将軍秀忠の女が京都に入内するとき母親代りとして随行するなど才女としての誉れ高く老後は雲光院と号し寛永十四年(1637)一月二日83歳にて死去し雲光院に葬られた



石造宝篋印塔(阿茶局墓塔)




 本塔は雲光院の開基である阿茶局の墓塔として建てられたものです。宝篋印塔とは内部に「宝篋印陀羅尼」をおさめたことに由来する塔婆の一形式ですが、墓塔・供養塔としても建てられるようになりました。
 阿茶局は弘治元年(1555)、竹田家の家臣飯田氏の子として生まれ、今川家の家臣神尾忠重の妻となりましたが、忠重の死後、側側家康の側室となりました。大坂冬の陣には和睦の使者をつとめ、家康氏語は徳川秀忠の五女和子の入内に際し、母代として在京しました。元和九年(1623)、従一位に叙せられ、秀忠の死後は尼となり雲光院と称し、寛永十四年(1637)、83歳で没しました。
 本塔は総高363.1cm、石質は安山岩です。塔身正面には「雲光院殿従一位尼公」、左右側面と背面には阿弥陀三尊の種子が刻まれています。また、上基礎の正面には「正誉周栄大姉 寛永十四年●正月廿日」と刻銘があります。
 本塔は近世前期の宝篋印塔の様式をよく示し、江戸幕府成立に深く関わった人物の墓塔としても意義深く、貴重な石塔といえます。


●の部分はどうやっても漢字が出てこなかった。




龍光院







続く。