2018/02/26 清澄散歩 11 平久橋歩道橋/フジクラ本社ビル/平久橋/松平定信 海荘跡/東富橋/牡丹町公園/越中島駅

今回のエリアも以前歩いたことがあるエリア。
松平定信 海荘跡の説明板を見逃していたらしく、それを見あてで行ってみる。
見逃していたというより、google mapがみんなの書き込みによってマークが増えていってるだね。



◆平久橋歩道橋





フジクラ本社ビル

東証一部の企業さん。
電線御三家の一角とのこと。




◆平久橋

以前通ったことがある橋だ。
2017/06/09
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20170609/1497269763



松平定信 海荘(はまやしき)跡



 松平定信は、陸奥白川(現福島県)藩主で、天明七年(1987)に老中となり寛政の改革を実行したことで知られています。海荘は、隠居後の文化十三年(1816)に入手した抱(かかえ)屋敷で「深川海荘」とも呼ばれました。
 定信は政治家・学者としての側面の他、造園家としても著名で、築地の浴恩園(よくおんえん)、大塚の六園(りくえん)、領地白川の三郭四園(さんかくしえん)、南湖(なんこ)公園といった庭園を造りました。海荘には、これら四園の趣向を取り入れた庭園を築きました。
 園内には東西に二つの池があり、池を掘る時に出た土で二箇所の築山を築き、それぞれに「松月斎」「青圭閣」と名づけた休息所を建てました。定信は花木を子のみ、梨園芍薬(しゃくやく)の花畑を作ったほか、桜や躑躅(つつじ)、松、楓などさまざまな草木を植えました。なかでも普賢象(ふげんぞう)という遅咲きの佐倉を特に愛し、桜の季節には浴恩園や六園で花見を楽しみ、最後に世間の桜が散る頃に花盛りを迎える海荘の普賢象を鑑賞したといいます。
 この園内の様子は、国立国会図書館に所蔵されている「深川入船町御邸松月斎真写之図」に詳しく描かれています。



◆東富橋







◆牡丹町公園




越中島駅

今回もかなり歩いた。
一応見たいところは全部見たと思うが、google mapのマークの場所がどんどん増えてるイメージなので、また来そうな気がする。