今回のエリアは東砂と呼ばれる住所のあたり。
公園がさらに多くなってきたような気がする。
子育鬼子母神
境内社
右はお稲荷さんだけど、左は何の神様だろう?
江戸時代後期の文化十年(1813)、上妙寺第一六世日閑の代に神田小柳町(千代田区)の商人井筒屋久治郎。伊勢屋平吉・佐野屋平七の三名を世話人として再建された道標です。当初は小名木川沿いの道に、西向きに建てられ、江戸から来る参詣者の目印となっていましたが、昭和三十年代以降に、上妙寺境内に移されました。
本道標は、塔身と基礎で構成され、塔身正面には「南無妙法蓮華経」の題目、右側には建立年代、左側に「是ヨリ鬼子母神道」と刻まれ、基礎には「上妙寺」の寺名と世話人の名前が陰刻されています。
鬼子母神道の名称は上妙寺の鬼子母神像に由来します。寺伝によると上妙寺の鬼子母神像は、第八世日蓮の時代に大津波によって境内に流れ着き、第十一世日龍の時代に鬼子母神尊神堂が建立され、堂内に祀られたと伝承されています。こうした由緒から天保十一年(1840)刊行の「東都本化道場記(とうとほんけどうじょうき)」では「海中出現の鬼子母尊神堂」と紹介されています。
この道標は、十九世紀初めには上妙寺鬼子母神の信仰が隅田川を超えて仲田まで広がり、江戸の人々が参詣に訪れていたことを示しており、江戸時代以来の上妙寺の鬼子母神信仰を今に伝えるとともに、小名木川南岸の道から上妙寺に至る道が参詣の道としての性格を有していたことを示す貴重な文化財です。
続く。