2018/03/02 大島散歩 07 猿江船改番所跡/扇橋一丁目公園/民営機械製粉業発祥の地/ お地蔵様/宇迦八幡宮

午前中に行けなかった「東京大空襲・戦災資料センター」の近くまで戻ってくる。
時間をつぶしたエリアは別の日に来ようと思っていた場所(w




猿江船改番所



 猿江船改番所は、小名木川と大横川が交差する所の猿江側に、元禄から享保期(1688〜1736)頃に設置されました。
 小名木川は江戸への物資輸送の重要な交通路であったため、とくに江戸の町を守る必要上、江戸時代の初め、万年橋北岸に通船改めの番所が置かれました。その後、中川口へ移転し、中川船番所として利根川水系や房総方面と江戸の間を航行する川船を取り締まっていました。猿江船改番所は中川番所とは別に、川船行政を担当する川船改役の出先機関として設置されたものです。
 幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入りする船には川船改役によって極印(ごくいん)が打たれ、年貢・役銀が課せられていました。そのため新たに船を造ったり、売買によって持ち主が替わった場合などは届け出が義務づけられていました。猿江船改番所の仕事は船稼ぎを統制することにあり、こうした年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行っていました。
 この他江戸市中では、浅草橋場(台東区)に同様の番所が設置されていました。



◆扇橋一丁目公園



◆民営機械製粉業発祥の地



 明治12(1879)年, 明治を代表する実業家 雨宮敬次郎は, 水運の便のよい小名木川に着目して, この地に それまでの水車動力に代わる 蒸気機関を動力源とした, 民営では最初の 近代機械製粉所 「泰晴社(たいせいしゃ)」を創設しました。
 欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は, 蒸気機関のほか 石臼製粉器, 篩器(ふるいき)などの製粉装置を米国から輸入して 製粉事業の経営に成功をおさめました。
 雨宮の製粉事業は 東京製粉合資会社に受け継がれ, 明治29年日本製粉株式会社に 改組されました。また, 小名木川沿岸には 明治30年台に製粉会社が次々と設立され, 全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。 こうして泰晴社は, 小名木川沿岸に さまざまな近代的工場が進出してくる さきがけともなったのです。
 なお, 明治初期の機械製粉所には, 開拓使により札幌に設立された 磨粉機械所(明治9年), 大蔵省による 浅草蔵前の製粉所(同12年) の二つがありましたが, これらの官営製粉所は ともに日本製粉株式会社が その事業を継承しました。


今まで、「日清製粉」と「日本製粉」と混同していた。
以前行ったことがある舘林の製粉ミュージアムは「日清製粉」のほうだった。
日清製粉に行ったときの日記はコチラ


2014/07/24
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20140724/1410671846


雨宮敬次郎さんについても調べてみた。
山梨出身の明治を代表する実業家とのこと。
「天下の雨敬」「投機界の魔王」と呼ばれた。
ものすごい人だったんだね。
鉄道関係がものすごい。


今の軽井沢があるのもこの方のおかげらしい。




◆お地蔵様





◆宇迦八幡宮



続く。