2018/03/02 大島散歩 12 大島愛宕神社/旧朝日山部屋/堅川橋梁/古銭のオブジェ/三代目歌川豊国の生地

亀戸駅に向かってどんどん北上する。
この時点で予定していた時間を超えてしまったので、亀戸天神に梅まつりを見に行くのを断念。
また後日に行こう。



◆大島愛宕神社





◆旧朝日山部屋

たぶんこの更地になっているところだと思われる。
現在の所在地は「千葉県鎌ケ谷市くぬぎ山」とのこと。



◆堅川橋梁

こちら、貨物専用線の橋。
上は首都高。



◆古銭のオブジェ



なぜここにあるのかはわからない。
堅川河川敷公園ちかくにあった。



◆三代目歌川豊国の生地



 三代目歌川豊国は江戸時代後期の浮世絵師、初代豊国の高弟ではじめは国貞と名乗り、のちに豊国を襲名する。本名を隅田庄五郎と称し、天明六年(1786)に本所五ツ目(亀戸五・六丁目付近)で生まれる。五渡亭、一雄斎、香蝶桜など多くの画号があり、とくに五渡亭を一番長く愛用した。
その名の由来は、本所五ツ目に居を構え、竪川にかかる五ツ目の渡し船
株を持っていたことに因んで、天明期を代表する狂歌大田南畝蜀山人)から贈られたという。のち亀戸町に転居し、生涯を亀戸周辺で過ごした。
 豊国は文化・文政期(1804〜1830)を代表する浮世絵師として、美人画・役者絵など多彩なジャンルで活躍した。なかでも柳亭種彦の合本「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」では、挿絵を担当し大人気を得る。この作品をきっかけに源氏物語の世界観を描く「源氏絵」のジャンルを確立し、当時の歌舞伎にも影響を与えた。
 その活躍期間は長く、江戸時代の浮世絵師のなかでも最多の作品数をほこる。元治元年(1864)に79歳で死去。墓所は亀戸光明寺(亀戸二・四二・一)にある。




続く。