もう完全に中野区に入る。
以前散歩したことがあるので、なるべく同じ道を通らないようにする。
2016/10/24
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20161024
江戸名所図会に「中野に象厩(きさや)を立ててそれを飼わせられし」と書かれている中野の象小屋は、このあたりにあったといわれています。
当時、象は、まだ珍しい動物で、人々の好奇心をそそり、「象志」「馴象論」「馴象俗談」などの書物が出版され、また、象にちなんだ調度品、双六(すごろく)や玩具類もさかんに作られました。
中野に来た象は、享保十三年(1728)中国人貿易商鄭大威(ていたいい)が将軍吉宗に献上するため、ベトナムからつれて来たもので、途中、京都で中御門天皇と霊元法王の謁見を受け、江戸に着いて将軍吉宗が上覧したあと、しばらく浜御殿に飼われていました。のち中野村の源助にさげわたされ、源助は、成願寺に近いこのあたりに象小屋を建てて飼育を続けましたが寛保二年(1742)に病死しました。死後、皮は幕府に献上され牙一対(きば いっつい)は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺(現 中央二丁目)に保存され、戦災にあいましたが、その一部がいまも残っています。
◆石森製粉の石臼
中野坂上付近では製粉業が発展し、幕末から明治にかけて6社が創業していたとのこと。
展示のあるこの建物は「石森製粉」さんの本社ビルとのこと。
なんと工場は新木場4丁目にあるとのことで、職場がものすごく近い。
今度見に行ってみよう。
続く。