2018/03/04 中野坂上散歩 06 中野城山居館跡/やまぶき公園/豊川稲荷/東京府立農事試験場の跡/浄円寺/中野駅

どんどん中野駅に近づいて行く。
細い坂があったり、広い公園があったりで、ちゃんと駅に向かっているのか不安になるくらい閑静な場所だった。



◆中野城山居館跡




 この辺りは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅5.4mほどの土塁が残っていました。
延宝三年(1675)の村の記録には「中野村のうちに900坪ほど土手を築き、空堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこはもともと名主・堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、今は年貢地になり、代々卯右衛門が所持している。」とみえています。
 堀江氏は天正四年(1576)戦国大名後北条氏領中野五郷を治める小代官を務め、次いで豊臣秀吉の指令もうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であった事が考えられます。湧水のある中野川の谷戸をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦跡、あるいは豊島氏と戦った太田道灌の陣地「道灌砦」跡などともいわれています。



◆やまぶき公園



豊川稲荷大明神




油揚げが供えられていた。




東京府立農事試験場の跡

城山公園内に説明板があった。



 このあたりから、大久保通りにおよぶ約2.7k?の一帯は、東京府が明治三十三年に設立した最初の府立農事試験場がおかれていました。
 江戸時代末頃から、豊かな経験と技術をもつ各地の「老農」と呼ばれる人たちの相互交流にたよる農業改良が行われていましたが、この農事試験場では、新しい農業技術の開発やその成果を見習生の養成・講習・実施指導に生かして普及する方法をとりました。
 試験場の活動は、国の指定補助を受けて園芸部がおこなった、野菜や草花の温室による促成栽培試験などもふくめ、多くの面で東京近郊の農業技術改良に少なからぬ影響を与えました。
 この新しい農業の象徴ともいえる農事試験場も、都市化の波におされて、大正十三年には立川へ移転していきました。


2017/02/11
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20170211/1486900423
立川を散歩しているときに見かけたこの研究所がそうだったのかなと「沿革」を見てみたら、ビンゴだった。
1924年に移転したとあった。
http://www.tokyo-aff.or.jp/center/annai/07index.html




◆浄円寺

google mapにも載ってなくて、中が窺い知れなかったので本当に「寺」でいいのかわからない。



中野駅

ゴールです。
江戸川区江東区を散歩した後だったので、公園が少ないのをかなり実感した。
というのもトイレがないのである。
我慢しながら歩いた場所もあった(w
トイレのある公園、トイレの使えるコンビニに出会ったら、必ず行っておいた方がいいと思う。



・・・・その前にビールを飲みながら歩くのをやめればいいんだけどね。。。。