2018/04/14 台東散歩 06 草分稲荷神社/佐久間公園/藤堂和泉守の上屋敷を彩った樹々/秋葉原駅/聖橋

先程のエリアから南西方向に歩く。
秋葉原を通り、御茶ノ水から電車に乗って帰る。




◆草分稲荷神社






◆佐久間公園



佐久間小学校跡



神田佐久間町三丁目



江戸時代、この界隈には町人地と武家の屋敷地とが混在していました。「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされています。
江戸は火事の多い町として知られていますが、とくに享保年間(1716年〜1736年)には、幾度となく大火に見舞われました。そのたびに町の一部に火除地や代地が設けられて南北に分断され、住民は移転を余儀なくされました。
大正十二年(1923年)の関東大震災では、住民が一致団結して火事と闘いました。猛烈な勢いで襲ってくる火の手に、住民たちは力をあわせてバケツリレーをおこない、町を守りました。三十時間にもおよんだ命がけの消火活動のかいあって、佐久間町から和泉町(いずみちょう)にかけての一帯は奇跡的に延焼をまぬがれたのです。
この由来板が立っている佐久間公園は、ラジオ体操会発祥の地としても知られています。「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和五年(1930年)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めました。これを記念して同公園には由来を記した碑が建立されています。
神田佐久間町三丁目は、江戸時代から続く由緒ある町名です。長い歴史に培われた強い連帯感で結ばれた住民たちは、力をあわせて町を守り抜いてきたのです。






神田佐久間町四丁目/ラジオ体操会発祥の地



神田佐久間町四丁目

佐久間町の町名は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来すると伝わっています。実際この地域は、江戸でも早い時期から商人や職人が集まる町でした。
一方でこの地域は、火事が多かったことも古文書に記されています。享保三年(1718年)には、火災で焼け落ちた町の一部が防火のための火除地に定められ、そこに住んでいた人々は元誓願寺前(もとせいがんじまえ)(現在の神田東松下町周辺)に移動するように命じられます。しかし、町の人々にとって河岸(船荷を上げ下ろしする場所)に隣接したこの地から離れるのは好ましいことではなかったようです。そこで奉行所に願い出て、たき火をしないことや、建物の間を空けるといった条件つきで、火除地の一部の使用許可を得ました。その結果、この界隈は商人や職人たちの町として発展を続け、明治維新を迎えています。
明治二年(1869年)、神田佐久間町四丁目元地、神田佐久間町四丁目裏町)、そして神田富松町元地が合併し、神田佐久間町四丁目となり、明治五年(1872年)には隣接していた武家地を編入しました。明治四十四年(1911年)の町名変更でいったん佐久間町四丁目となりますが、昭和二十二年(1947年)、神田区麹町区が合併して千代田区となると、ふたたび神田佐久間町四丁目となりました。




ラジオ体操会発祥の地

 ラジオ体操は 昭和3年11月 簡易保険局が国民の健康増進のために国民保険体操と名づけて制定したものであるこれがひとたび放送されるやラジオ体操として親しまれ全国各地にラジオ体操会の誕生をみるにいたった
 この地は 当時万世橋警察署の面高巡査が町内会の人達と共に全国に先駆けて「早起きラジオ体操会」を始めたゆかりの地である
 ラジオ体操50年に当りこれを顕彰する




◆藤堂和泉守の上屋敷を彩った樹々




江戸時代、このあたりは伊勢国津藩(いせのくにつはん)主、藤堂和泉守(とうどういずみのかみ)の上屋敷でした。
大名屋敷の多くには大小様々な庭園があることから、ここは藤堂家の植木職を代々務めた伊藤伊兵衛(いとういへえ)に円のある樹木を植えています。
江戸では世界に先駆けて園芸が隆盛し、将軍から大名武士、庶民に至るまで樹木や草花の鑑賞、栽培が流行しました。伊藤伊兵衛(いとういへえ)は江戸で最も有名な植木屋であり、伊兵衛の名を世襲しましたが、元禄から享保期(1600年代後半〜1700年代前半)に活躍した三代伊藤伊兵衛三之丞(いとういへえさんのじょう)、五代伊藤伊兵衛正武(いとういへえまさたけ)(四代目説もあり)が特に有名で、見識技量に優れ、ツツジやモミジなど山野に自生する植物を元に様々な新種を作出すると同寺に、数多くの園芸植物の図解入りで記載した多くの著作を起こしてます。三之丞(さんのじょう)が元禄5年(1692)に出版した「錦繍枕(きんしゅうまくら)」は世界初といえるツツジ図鑑です。100年余り後、シーボルトやフォーチュンといったヨーロッパの植物学者やプラントハンターらが来日し、日本の植物とその多様性をヨーロッパに伝えました。
そのことからも彼らは世界的な園芸の発展に貢献したと言えます。
江戸時代から続く、世界に誇る園芸文化を後世に伝えるべく、ここには30種類の日本在来種および園芸種の樹木を植えています。




秋葉原駅




◆聖橋

最近よく通る橋。
相生坂から撮ってみた。




御茶ノ水駅でゴール。
そんなに暑いわけでもなく、良い散歩日和だった。