2018/04/22 久地散歩 05 長尾の天然氷/長尾の里めぐり/長尾台遺跡/妙楽寺/長尾神社/五所塚第一公園

この日記の所から急に勾配がきつくなる。
坂や階段が増えて、歩きづらくなる・・・・。



◆長尾の天然氷

陽のあたらない山裾に溜め池をつくり、二ケ領用水を利用した天然氷がつくられていた。氷倉(こおりぐら)に入れて夏まで貯蔵し、東京方面に出荷したもので、大正初期まで続いた。


前の日記で「名前のわからない橋」の場所のすぐ近くにあった。




◆長尾の里めぐり








こんな山登りになってしまうとは・・・・・・。





◆長尾台遺跡




 長尾台遺跡は、縄文・弥生・古墳時代の三時期に渡る集落址で、昭和四十四・四十五年の調査で発掘された竪穴式住居址が保存されています。
 この大地で最初に集落を営んだのは、主に狩猟や植物食などの採取生活をしていた縄文人でした(紀元前四千年頃)。彼らの住居は、地面を掘り、なかに炉を設けた半地下式の竪穴住居でした。
 縄文人が去った後、再びこの大地で集落を営んだのは、ここに稲作農耕の技術を体得していた弥生人(二世紀)であり、その後に続く古墳時代の人々(四〜七世紀)でした。彼らの住居も、縄文人と同じ竪穴住居でした。
 眺望優れたこの大地は、古代人の生活環境としても格好だったのでしょう。






妙楽寺









◆長尾神社







◆五所塚第一公園




五所塚と権現台遺跡

 五所塚は、直径四メートル・高さ二メートル前後の五つの塚が南北に並んでいることから、地元では古くから、こう呼ばれてきました。外観は古墳時代の円墳に似ていますが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚などと同様の、民俗信仰に基づく塚であると考えられています。
 この五所塚から長尾神社境内につづく舌状台地上の平坦部は、権現台遺跡と呼ばれる縄文時代中・後期の集落跡です。昭和三十三年(一九五八)に実施された発掘調査では、竪穴住居四軒、炉跡二基、配石遺構一基が発見されました。なかでも、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した二本の石棒が据えられ、狩猟にまつわる祭りを行ったと思われる縄文後期の配石遺構は重要な発見でした。
 ここ五所塚第一公園には、地上に中・近世の信仰塚が、地下には狩猟祭祀をした縄文時代のムラの跡が重複しているのです。








続く。