2018/04/28 浅草橋散歩 04 黒船神社/紙漉町跡/舟和本店/浅草消防署/バンダイ本社/駒形どぜう本店/駒形諏訪神社

浅草を目前にして今度は南下。
隅田川沿いに浅草橋の方に向かって歩く。



◆黒船神社






◆紙漉町跡




 この付近は、江戸時代、紙漉町といい江戸における最初の紙漉きが行われた場所である。江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は浅草紙と呼ばれて土地の特産物だった。
 延宝四年(1676)版の『江戸絵図』には田原町1丁目の西側の道に「かみすき丁」と記され、貞享四年(1687)刊『江戸鹿子』にも「紙すき町」の名が見える。また、安永二年(1773)に成立した『江戸図説』によると、田原町のほかに橋場・鳥越や足立区千住方面でも生産されていたという。
 明治時代になると、浅草紙の製造工場は橋場や南千住の方に移り、浅草付近では作られなくなる。わざかに紙漉きの名残をとどめているのは、以前山谷堀に架かっていた「紙洗橋」の名の交差点表示である。
 浅草紙は、不要になった古紙を手で漉き返して再利用する、今でいうリサイクルペーパーである。




◆舟和本店

芋羊羹を東京駅で良く買うけど、本店はコチラだったんですね!




◆浅草消防署




バンダイ本社





キャラクターの像がたくさんあった。












◆駒形どぜう本店




神輿まつまの
  どぜう汁すゝりけり

久保田万太郎先生は市井のひとを愛し、とくに、また、ふるさとをおなじくする浅草ッ子を愛した。ここに駒形どぜう、越後屋、五代、助七その生前の厚誼をしのんで、先生をしたう情は、まことに涙ぐましいものがあるが、昭和四十一年初夏この句にゆかりの三社祭の吉日に当って駒形どぜうの店の前に、いま先生の句碑を立てる。旧称田原町三丁目なる先生の生家にもっともちかくこの句碑の立てられたことは、さだめし先生も喜ばれていることと思われる。ここにつつしんでこれをしるす者は、おなじく浅草ッ子のひとり。



◆駒形諏訪神社







続く。