2018/04/30 本郷散歩 03 金比羅坂/新壱岐坂/新壱岐坂歩道橋/三河稲荷/東洋女子歯科医学専門学校発祥の地/壱岐坂/新坂(外記坂)

この日記のエリアは坂ばっかり。
まだまだ前半なのにかなり体力を消耗する。



金比羅

現地に説明板などは無かった。
調べてみると前の日記の「金刀比羅宮」に因むと書いてあるページがあった。




◆新壱岐




 大正12年(1923)の関東大震災の復興計画によって、新しくひらかれた昭和の坂である。
 この坂の中ほどにある東洋学園大学のわきで、この坂と斜めに交差している細い坂道がある。「壱岐(殿)坂」という。 壱岐坂の水道橋寄りに小笠原壱岐守の下屋敷があったので、この名がついたといわれる。江戸時代からあった古い坂である。
 ながい歴史のある壱岐(殿)坂の名をとって、この坂を"新壱岐坂"とした。現在は区内の幹線道路としてひろく知られているが、 もととなった壱岐(殿)坂の名は忘れられようといる。



坂の途中に東洋学園大学がある。



壁画の説明板があった。




◆新壱岐坂歩道橋






三河稲荷神社






◆東洋女子歯科医学専門学校発祥の地




東洋女子短期大学TWCシンボル>

 1950(昭和25)年、新学制に基づき英語科単価で発足した東洋女子短期大学は、木造の戦災復旧校舎で始まった。このシンボルは戦災と戦後の混乱から立ち直り、短大設立10周年を期して1961年に建設した旧1号館の西壁、フェニックス・モザイク「岩間がくれの菫花」前面に添えて設置された。
 東洋女子短期大学の英文表記 Tokyo Women's College の頭文字を意匠化し、モザイク壁画との一体性が考慮されている。教会風の意匠に教会建築を多く手掛けた壁画制作者、今井兼次作品の特徴がみられる(正規の校章は下図参照)。
 2007年の第一号館竣工にあたり、ここに移設した。当校舎正面に旧位置のまま保存した壁画及びその解説とあわせてご覧ください。」



<東洋女子歯科医学専門学校発祥の地>

 1926(大正15)年創立の東洋女子歯科医学専門学校は、学制・医制改革に伴い1950年に開校するまで、史上二校のみ存在した文部大臣指定の女子歯科医専である。戦後、旧制医科医専から女子は二校とも廃校となった。
 この碑は本校卒業生の女性歯科医師らが、女性のための歯科教育機関が当地に存在した証として設置した。建碑日の11月4日は、文部大臣指定認可を得た旧制時代の創立記念日である。
 なお、本校には1917年設立の明華女子歯科医専という前身校があり、これに遡れば「発祥の地」は西片1丁目である。
 当地には1919年に移転し、今日に及んでいる。




壱岐

 上記の「新壱岐坂」の説明板にあった場所がこの写真の所だと思われる。




◆新坂(外記坂)

外記坂→げきざか と読むとのこと。




  区内には、新坂と呼ばれる坂が六つある。『東京案内』に、「壱岐坂の北にありて小石川春日町に下るを新坂といふ」とある。『江戸切絵図』(嘉永6年尾張屋 清七坂)いよると、坂上北側に内藤外記という旗本の大きな屋敷があり、ゲキサカとある。新坂というが、江戸時代からあった古い坂である。
 この坂の一帯は、もと御弓町、その後、弓町と呼ばれ、慶長・元和の頃(1600年ごろ)御弓町の与力同心六組の屋敷がおかれ、的場で弓の稽古が行われた。明治の頃、石川啄木斎藤緑雨内藤鳴雪などの文人が住んだ。




続く。