2018/05/06 代々木散歩 05 祠/旧代代幡町燈篭/西参道駅跡/代々木緑道/銀杏天神社/歩道橋

甲州街道沿いに新宿駅に向かって進む。
ビルばっかりになってきた。



◆祠

現地でも、WEBで調べても、なんのための祠なのかはわからなかった。




◆旧代代幡町燈篭

明治神宮参道の入り口だったってことでいいのかな?
あまり信頼のある情報にたどり着けなかった。


代代幡町=代々幡町(よよはたまち)
東京府豊多摩郡にかってあった町で、1889年に南豊島郡代々木村幡ヶ谷村とが合併して代々幡村が誕生。1915年に「町」となり、1932年に消滅したとのこと。




◆西参道駅跡




google mapのマークの位置は、この写真のあたり。
京王線旧線時代の駅だったとのこと。




◆旧玉川上水旧水路 代々木緑道








 ここには、かつて神田上水とともに江戸の二大上水と呼ばれた玉川上水が流れていました。現在は暗渠となり、当時の面影を偲ぶことはできませんが、各所に残る橋の欄干は玉川上水の名残です。
 江戸時代初期、江戸の住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、江戸市中の発展につれ水不足をきたしました。そこで、承応元年(1652)に玉川上水開設の計画が立てられたのです。承応2年(1653)正月、幕府は庄右衛門・清右衛門兄弟に工事請負を命じました。ここに老中松平伊豆守信綱を惣奉行とする、玉川上水開設の計画はスタートしたのです。信綱の巨安松金右衛門の設計に従い、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約43キロの開削水路を通し、そこから先は地価に配管(石樋・木樋)を敷設するという、当時としては非常に画期的な工法がとられました。
 このほかに玉川上水は、江戸市民の飲料水供給にとどまらず、灌漑用水や新田開発など武蔵野台地の発展にも計り知れない恩恵を授けたのです。




◆銀杏天神社




箒銀杏

 この大きな銀杏の木を少しはなれた所から見ると、箒を逆さにたてたように見えるところから、箒銀杏と呼ばれています。
 樹齢は約三百年と推定されますが、近くを流れていた玉川上水によってはぐくまれてきたと考えられます。
 かつて渋谷区内には名の付いた巨木、銘木が数多くありましたが、歳かと戦災によって伐採されたり、枯れたりしてしまい、この地域における古くからの樹木は、この箒銀杏だけとなってしまいました。
 この場所は、天神様の境内として江戸時代の地誌でも確認することができます。明治三十三年(1900)に代々木八幡宮に合祀されますが、今も根元には天神様の小祠があります。長年にわかり地元である代々木新町町会の会員により、維持・管理されています。
 この近くを流れていた玉川上水に架けられた橋は、その名にちなんで天神橋と名づけられました。








◆歩道橋

歩道橋の名前までは判らなかった。








続く。