2018/05/12 02 野島散歩 04 野島橋/野島公園駅/帰帆橋/洲崎公園/憲法草創之碑/明治憲法起草の地/瀬戸橋/琵琶島神社/金沢八景

伊藤博文別邸の後は、いい時間にもなってきたのでまっすぐ金沢八景へ向かおうと心に決める。



◆野島橋








上に架かっている橋はシーサイドライン



野島公園駅

シーサイドラインの駅。
金沢八景までは一駅だから歩こうと決めていた。





◆帰帆橋





この橋を渡ってしまうと戻ってしまうので、写真だけ撮った。




◆洲崎公園



憲法草創之碑




明治憲法起草の碑
この碑は明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治,金子堅太郎らが料亭東屋において、明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し、昭和10年(1935)金子堅太郎書で建立されたものである。






明治憲法起草の地



 この地は、料亭東屋の跡で、明治20(1887)年伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制定のため草案を起草したところである。
 明治20年6月から、東屋に集まり草案の構想を練っていた。金子・伊東は東屋に泊り、伊藤は夏島の別荘から、井上は野島旅館から通った。8月6日夜、東屋の伊東の室に盗賊が入り機密書類の入っていた行李が盗まれたが、翌日書類は無事発見された。その後、伊東・金子両名は夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されたが、東屋が起草の地であるとして、昭和10(1935)年「憲法草創之処」という記念碑が金子堅太郎書で東屋裏庭内に建てられたが、東屋廃業後、現在ここより40m東に移され設置されている。




◆瀬戸橋




◆琵琶島神社






石碑

よるなみの 瀬戸の秋風 小夜更けて
千里のおきに すめる月かけ
京極高門


金沢八景のひとつである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝えるところとのこと。
僕はさっぱり読めなかった・・・・。
下で紹介する説明板に書いてあった。



周りの景色が素晴らしい





神社鳥居の近くに説明板が二つあった。

<琵琶島>
 琵琶島は島の形が琵琶に似ていることからよばれたと言われます。
 島には北条政子が近江(滋賀県)の竹生島から勧請(かんじょう)した弁天を祭ってあります。
 もとは瀬戸神社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸続きとなっています。
 金沢八景の一つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝えるところです。
よるなみの 瀬戸の秋風 小夜更けて
千里のおきに すめる月かけ
京極高門




金沢八景名勝の由来>
その昔 金沢六浦の地は海路の要所となる重要な港湾であただけでなく 浦波島山のさまが千変万化に見えて 鎌倉幕府以来の武将たちはもとより 江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所であったことは史実に明らかであります。
八景の名称は 水戸の徳川光圀に招聘された中国の僧 東皐心越禅師が元禄七年(西暦一六九四年) この地に来遊し 谷津の能見堂からの眺めを故郷の杭州西湖の風景になぞらえて 八景を吟じたのにはじまるといわれています。

武州 金沢八景

洲崎の晴嵐(すさきのせいらん)
野島の夕照(のじまのせきしょう)
瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ)
平潟の落雁(ひらかたのらくがん)
小泉の夜雨(こずみのやう)
内川の暮雪(うちかわのぼせつ)
乙舳の帰帆(おっとものきはん)
称名の晩鐘(しょうみょうのばんしょう)

野島山の沖には夏島 烏帽子岩 猿島が点在しており今日の六浦・泥亀・釜利谷にまで入り込む内海と緑の山なみが作り出す風景に加え四石・七井・八名木のほか 神社・寺院が適切に配置されていて 今から数十年前までは 真に景勝の地でありました。


烏帽子岩の説明板を以前にみた。
2017/10/01
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20171001/1507093746



金沢八景駅





今回も歩いたなー
でも、歩数は3万歩越えなかった。
このくらいがちょうどよいね。
金沢八景駅の周りは調べればたくさん史跡などありそう。
いつか散歩してみたい。