2018/06/18 高円寺散歩 01 高円寺駅/純情商店街/入利弁天/高円寺あづま通り商店街/庚申塔/庚申通り商店街

24時間勤務アケで、高円寺から中野を北回りで歩き、南回りで帰ってきた。
地元なのでいつもブラブラする場所もあったが、いつもの散歩の視点で街を見ると新鮮だった。



高円寺駅




北口ロータリーにこんな碑があった。


「高円寺と家光」
徳川三代将軍家光は、このあたりに遠乗りや鷹狩に来たおり、しばしば高円寺の茶室で休息したと伝えられています。ある時家光が、当時の住職だった耕岳和尚に、何か欲しいものはないかと尋ねたところ、和尚は茶が好きなので茶の木をくださいとだけ答えました。家光は和尚の高潔さに感銘し、宇治から運ばせた茶の木を寄進したということです。このような将軍家光と高円寺の親しい関係から、小沢村と使用していた村名もいつしか高円寺村と呼ばれるようになりました。



近くに貼ってあったポスター

安いスーパーが数件あり、ほんとに便利な街だよ♪




◆純情商店街

高円寺には多くの商店街があるが、その一つ。




◆入利弁天




当地に鎮座された弁財天は
日本三大弁天の一つ江島神社から
御分霊を受けた由緒ある弁天様です。
呼名は入利(いり)弁天といい

お客様が入る
お金が入る
幸せが入る

と、とても縁起の良い神様です。
また、芸能や音楽の神様としても
昔から有名です。




◆高円寺あづま通り商店街



庚申塔




 この庚申塔は正徳六年(1716)、高円寺村の講中十人が、悪霊退散・村民安全を願って建立したものです。
 庚申塔は庚申待供養のために、江戸時代さかんに建立されました。本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)が多く、不見(みざる)、不聞(きかざる)、不言(いわざる)の三猿が刻まれていることもあります。
 今神道とは庚申信仰の行事の一つで、六十日に一回めぐってくる庚申(かのえさる)の夜に、講中の人たちが集まって、寝ずにお経を唱えたり、酒食を共に語り合いながら一夜を過ごしたといわれています。
 当初は現在の場所で真南に向かって鎮座していましたが、大正十二年(1923)の関東大震災で横転してしまい、その後西向きに建立されました。
 また、昭和二十年(1945)の東京大空襲の際には、戦火によって塔の一部が破損しました。現状のごとく修復されたのは昭和三十七年(1962)のことです。
 現在も、庚申通り商店街の本尊として、地元の人々に朝夕熱心に信仰されています。



◆庚申通り商店街

お世話になっている不動産屋がこの通りにあるので何年かに一度はかならず通る。
先程の庚申塔もこの通りの途中にある。




続く。