2018/07/10 天沼散歩 03 猿田彦神社/厳島神社/三峰神社/本天沼稲荷/宝湯/天沼共和会

このエリアから南下する。
遊歩道があったが、調べてみると暗渠となった桃園川とのことだった。
杉並区郷土博物館分館のある天沼弁天知公園が水源とのこと。
知らなかった・・・・。


2015/07/15
杉並区郷土博物館分館に行ったときの日記。
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20150715/1437068141




猿田彦神社









厳島神社

下記の三峰神社と同じ敷地内にあった。
どちらが境内社になるかわからない。





三峰神社






本天沼稲荷神社

下記を読むと、上記の猿田彦神社厳島神社(市杵嶋神社?)、三峰神社はこちらの境外末社ということらしい。




 当社は旧天沼村本村の鎮守です。祭神は保食神で、境外末社として猿田彦神社猿田彦命本天沼2-26)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命、本天沼2-5-15)、三峰神社伊弉諾命・伊弉册命、本天沼2-5-15)を祀っています。
 創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺過去帳に「慶長十九年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする」と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかではありません。しかし社伝によれば、稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永十二年(1635)に当地が赤坂山王社(山王日枝神社)領となってからと、伝えています。
また、江戸時代の当社について「新編武蔵風土記稿」には「除地百五十坪、小名本村にアリ、此所ノ鎮守ナリ、本社三尺四方、上覆二間ニ三間」と記されています。
 現在の本殿は、明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、社殿は、平成十五年に新たに造営されたものです。
文化財として、内殿移築と同じ頃に山王社(山王日枝神社)から奉納された祭礼の様子を画いた畳二畳ほどの大絵馬(区指定文化財)、弘化五年(1848)二月奉納大幟、文政六年(1823)四月銘の手洗水盤などがあります。




板絵着色祭礼図一面




本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。



楽殿



鳥居




◆宝湯




◆天沼共和会





続く。







◆宝湯