2018/07/26 小石川散歩 01 白山駅/薬師坂/旧白山前町/白山神社/白山五丁目第二児童遊園/旧指ヶ谷町/蓮華寺坂

24時間勤務アケで、三田線白山駅からJR水道橋まで散歩。
7/12の小石川散歩の東側を巡った。



都営三田線白山駅

東洋大学に向かう学生と、整理している警備員が居た。




◆薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂)

白山駅前の通り



 『妙清寺に薬師堂有之候に付、里俗に薬師坂と相唱申候』(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。
 『新撰東京名所図会』には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末期の姿を記している。
 このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本道がある。




◆旧白山前町




 古くは小石川村に属した。元禄12年(1699)に町屋を開いた。町名は、白山権現社(白山神社)の境内の前通りにあったので名づけられた。
 明治2年、白山表門前、白山社裏門前、小石川数寄屋町、妙清寺(みょうせいじ)・常検寺(じょうけんじ)及び浄心寺(じょうしんじ)門前を併せた。さらに、明治5年には上駒込飛地、鶏声ヶ窪(けいせいがくぼ)を併せた。
 白山神社は、初め、天暦2年(948)加賀の国の一の宮白山神社を旧本郷元町に祭ったのに始まる。のち現在の小石川植物園の地に移ったが、明暦元年(1655)に白山御殿の造営のため、現在地に移った。それで5代将軍綱吉とその生母桂昌院の信仰を受け大いに栄えた。
 白山神社門前町として、この町は発展した。




白山神社





松尾神社



富士浅間・稲荷・三峯・玉津島・天満天神・山王・住吉


境内社

なんの神様なのかわからなかった。


八幡神社





稲荷神社



孫文先生座石



 昭和43年度総代会に於ける宮総代秋本平十郎及浦部武夫両氏の談話の中に白山神社境内には中国の政治家孫文先生と宮崎滔天寅蔵氏の腰掛けられた石があるとの御話がありました依而昭和44年年度の総代会に故滔天氏の御子息宮崎龍介氏を御招きし其の当時の事をお偵ひ致した処明治43年5月中旬の一夜、孫文先生は滔天氏と共に境内の此の石に腰掛けながら中国の将来及其の経綸について幾多の抱負を語り合わされて居た折たまたま夜空に光芒を放つ一條の流星を見られ此の時祖国の革命を心に誓われたと言ふお話をなされました
宮崎滔天全集の中に孫文先生は当神社に程近い小石川原町の滔天氏宅に寄寓せられて居た事が記されております
此の歴史上の事実と当社との因縁を後世に伝うべく豫ねてより総代会にて屡々議題に上がりましたが此の度宮総代酒井滝蔵氏の御発言を契機として神社総代各町会総代有志の心からの賛同の結果、此の腰掛石の記念碑建立の運びと成り之を永代史跡として残す事に成った次第であります。



鳥居




◆白山五丁目第二児童遊園



◆旧指ヶ谷町



 古くは、小石川村に属した。元和9年(1623)伝通院領となった。寛永(1624〜44)のころには、木立の茂った谷地であった。
 ある時、3代将軍家光が鷹狩りに来て、「あの谷も遠からず人家ができるであろう。」と指し示したことから、指ヶ谷の地名ができたといわれる。
 寛永11年(1634年)町屋ができ、指ヶ谷南片町と称した。
 明治2年、白山前町の内、千川屋敷、円乗寺(えんじょうじ)、蓮華寺(れんげじ)、浄雲寺(じょううんじ)、正福院などの門前を併せて指ヶ谷町とした。




蓮華寺



 「蓮華寺即ち蓮花寺といへる法華宗の傍なる坂なればかくいへり。白山御殿跡より指ヶ谷町の方へ出る坂なり」と改撰江戸志にある。
 蓮華寺は、天正15年(1587)高橋図書を開基、安立院日雄を開山として創開した寺院で明治維新までは、塔頭が六院あったという。
 なお、この坂道は小石川植物園脇の御殿坂へ通じ、昭和58年(1983)にハナミズキツツジが植栽され、春の開花、秋の紅葉が美しい並木道である。



続く。