2018/07/26 小石川散歩 02 逸見坂/蓮華寺/厳浄院/山口素堂の墓/伊賀坂/御殿坂/安閑寺

水道橋に向かってどんどん南下する。
小石川植物園脇を通る。




◆逸見坂




 「白山神社裏門の南,小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり,逸見坂といふ。旧幕士逸見某の邸,坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
 武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で,逸見坂はその北のはずれに当たる。
 町名の由来は,白山御殿(後に5代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
 御殿廃止後,幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
 坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。




蓮華寺




境内社






◆厳浄院






◆山口素堂の墓(厳浄院内)



 当山に山口黒露が建立した墓がある。山口素堂、寛永19年〜享保元年(1642-1716)。甲斐国山梨県)の生まれ。俳人。名は信章、通称は勘兵衛。素堂は号。和歌、茶道、書道にもすぐれていた。
若くして江戸に出て漢学を修め、寛文の頃(1661-73)京都で俳諧、和歌などを学んだ。天和2年(1682)の大火で、深川の芭蕉庵が焼失した時、庵を再建し友情を示した。
素堂は、”蕉風”といわれる芭蕉独自の俳諧の確立に、大きな影響を与えたといわれる。谷中感応寺に葬られたが、墓は現存しない。
人々に親しまれている句に”目には青葉 山ほとどぎす 初がつお”がある。句碑は、墓所のわきにある




◆伊賀坂




 白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』) という2つの説がある。『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は 甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。




◆御殿坂



 「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり。この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
 「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見えし故に、富士見坂ともいえり」(『江戸志』)
 白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
 綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
 明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
    植物園の松の花さへさくものを
     離れてひとり棲むよみやこに  
                 若山牧水(1885-1928))



◆安閑寺

中には入れない??



続く。