2018/07/30 西早稲田散歩 03 西早稲田天祖神社/面影橋/早稲田水稲荷/堀部安兵衛の碑/聴松亭/太田道灌「駒繁松」

この日記のエリアは都電荒川線沿いに東へ進む。
暑くて頭痛がしてくる(w




西早稲田天祖神社




楽殿







面影橋

都電荒川線面影橋
都電が来るまで待とうと思ったけど、あまりの暑さにやめた(w




◆早稲田水稲荷神社


御神楽



冨塚古墳




稲荷社

狐さんが見つめあってる!
社もないし、かなり珍しい。



清輝彦那大神



稲荷社



稲荷社




琴平大神/高木大神/三島大臣/水大神





どれがどの社なのかわからなかった。


北野神社




この他、浅間神社富士塚がある!?
富士塚は普段登れないが、7月に登れる日がある!?
って、ついこの前じゃないかあ(w
来年、また来ようっと。







堀部安兵衛の碑



 この記念碑は、「忠臣蔵」における代表的説話であり、地域の伝承として知られる「高田馬場の決闘」(元禄七年)における赤穂浪士堀部安兵衛(1670〜1703)の事績を顕彰する記念碑である。江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫・行田久蔵が、明治四十三年(1910)に建立した。篆額は西園寺公望、撰文は信夫恕軒、書は日下部東作、鐫は堀部忠蔵の手になる。また、賛助者には頭山満犬養毅大隈重信三田村鳶魚など当時の名士が名を連ねている。当初は茶屋町通りにある久蔵の植木園に建てられたが、昭和四十六年(1971)に現在地に移された。総高は約350cmである。
 この記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし、「忠臣蔵」の再評価が高まった時代であった。また、明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕彰運動が盛んな時代でもあった。






◆聴松亭




こちらの建物は情報が少なく、信頼できるものがなかった。








太田道灌「駒繁松(こまつなぎまつ)」

太田道灌が馬を繋いだという松の木。
ただ、当時のものではなくて、3代目だとのこと。



山吹の里は此辺一帯を云う名です。


太田道灌が雨宿りに寄った農家で蓑を借りようとしたら、その家から出てきた少女が庭に咲いていた山吹を一枝切って差し上げた。
道灌は気分を悪くして帰ったが、家臣に少女が古歌「山吹の歌」のことを教えられ、自分の無学なのを反省し、和歌の道に励んだとのこと。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」
実の → 蓑 にかけて、貧乏でお貸しする蓑が一つもないことを悲しく思う。




続く。