24時間勤務アケで、池袋散策。
豊島区をこんな風に散策するのは初めて。
久々の散歩なので短めに。
池袋駅から目白迄歩いた。
◆池袋西公園
右側に見えるのは東京芸術劇場。
この記念碑は、ここ池袋西口公園でのジャパン・バングラデシュ・ソサエティ主催によるボイシャキ祭り(バングラデシュのお正月祭り)の開催をきっかけに始まった、豊島区とバングラデシュの文化交流の象徴として、平成17年(2005)7月12日、バングラデシュ人民共和国ベガム・カレダ・ジア首相閣下から豊島区へ寄贈されたものです。
ショヒド・ミナールは、ベンガル語を護った人々を称えるモニュメントであり、ユネスコ総会において全会一致で宣言された「国際母語の日(2月21日)」を象徴するものとされています。
中央の部分は、母親である言語を、両側の4基は、それを守る子どもたちを表しています。
むかしこのあたりに多くの池があり、池袋の地名は、その池からおこったとも伝えられている。 池には清らかな水が湧き、あふれて川となった。この流れはいつのころから弦巻川とよばれ、雑司が谷村の用水として利用された。
池はしだいに埋まり、水も涸れて今はその形をとどめていない。これは、むかしをしのぶよすがとして池を復元したものである。
◆梟の路のふくろう
となりの時計には「出会いの鐘・2000」とあった。
ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
当時の所在地 東京府北豊玉郡西巣鴨町字池袋
敷地及び建物 約37000平方米の校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。
存在した時期 大正一三年(1924年)〜昭和ニ九年(1954年)
またこの地は鉄道開業50周年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鐡道中学校が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所である。
存在していた時期 大正一三年(1924年)〜昭和五七年(1982年)
これらの施設は昭和ニ〇年四月一四日の東京大空襲で一旦消失した。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。
◆池袋防災館
一度会社の研修できたことがある。
火災の時の対応など学べる施設である。
続く。