2018/09/05 駒込散歩 04 有松坂/泰宗寺/十二地蔵/旧近衛文麿邸荻外荘/染井霊園/慈眼寺/蓮華寺

この日記のエリアでも西へ進む。
ほとんどが染井霊園周辺。



◆有松坂

google mapに載っていたので来てみたが、説明板らしきものは見当たらなかった。




◆泰宗寺




◆十二地蔵




◆旧近衛文麿邸荻外荘



荻窪にある荻外荘とどう違うのかな?
と思ってWEBで調べてみた。
こちら豊島区にある建物は荻窪から移築されたものなんだそうだ。
現在もとにあった荻窪に戻す作業をしているとのこと。
荻外荘の復元、ほんと楽しみ♪




◆染井霊園

著名人のお墓も多数あるが、細かい案内などがなく、探すのに時間がかかりそうだった。
一番お参りしたかった「高村幸太郎」と「高村智恵子」のお墓だけ訪ねてみた。






google mapに載っている著名人のお墓は緑のマークがついている所。
岩崎弥太郎さんのお墓は敷地の外になるのかな?
非公開とのことで見ることができなかった。


google mapに載っていた著名人のお墓
<石川倉次>
1890年、ルイ・ブライユが考案した6点式点字で日本語を表記する事に成功。これが正式に採用されたのが、1890年11月1日のことで、以来この日が「点字の日」と定められている。石川は「懐中点字器」、「点字タイプライター」も開発し、日本点字の父といわれている。
wiki」調べ


<井上範>
明治〜昭和期の土木工学者 東京帝大教授。
コトバンク」調べ


<奥宮建之>
自由民権運動で活躍した日本の社会運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人であった。
wiki」調べ


幸徳事件も調べてみた。
大逆事件の一つであり、明治天皇の暗殺を計画したとして、全国の社会主義者無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や禁固刑判決を下した事件である。
wiki」調べ



石川一郎
日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)〜1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。
wiki」調べ



淡島寒月
明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。父親は画家の淡島椿岳。長女は教育者・政治家の木内キヤウ(日本初の女性の公立学校校長となり第1回参議院議員選挙参議院議員ともなった)。伯父は幕末の大富豪の伊藤八兵衛。
広範な知識を持った趣味人であり、元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴尾崎紅葉など文壇に紹介したエピソードで有名である。
収集家としても有名であり、住居の梵雲庵には3000あまりの玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、関東大震災の際に全て焼失した。
wiki」調べ



饗庭篁村(あえばこうそん)>
明治時代の小説家で演劇評論家。根岸派の重鎮。本名は饗庭與三郎。別号「竹の屋(舎)(たけのや)主人」とも称す。下谷龍泉寺町生まれにちなんで「龍泉居士」、その縁で「太阿居士」、南傳町2丁目に住んで「南傳二」とも。
日本人として初めてエドガー・アラン・ポーの作品を翻訳した人物としても知られる。
wiki」調べ



萩野由之
 日本の歴史学者・国文学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。
 研究領域は幅広く、一つに、古代・近世の法制史の研究で、『日本制度通』(小中村義象と共著)・『日本財政史』・『江戸幕府職官考』等を著した。二つに、古代から中世の古典の研究で、特に『神皇正統記』や四鏡等の校訂や研究に力を注いだ。三つに、幕末維新史の研究で、渋沢栄一著の『徳川慶喜公伝』の監修(実際は渋沢は注文主に過ぎず、萩野自身が執筆した[2])や『王政復古の歴史』を著した。ほか、萩野の郷土である佐渡島の研究や史料蒐集も行い、佐渡関係の著述も多数ある。彼の蒐集した佐渡関係史料は未刊の『佐渡群書類従』を中核に千余冊が新潟県立佐渡高等学校同窓会の「舟崎文庫」に所蔵されている。また、萩野の蔵書は九州大学附属図書館に「萩野文庫」(七千五百余冊)、東京大学附属図書館に「萩野本」(六百五十冊)として架蔵されている。さらにその他諸機関に収蔵されることなく、萩野の死後も、長く子孫の邸宅に保管され続けていた資料が、学習院大学史料館に受贈され、「萩野由之博士史料」として収蔵された。
wiki」調べ



二葉亭四迷
日本の小説家、翻訳家。本名、長谷川 辰之助(はせがわ たつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。
wiki」調べ




<小河一敏>
堺県知事、宮内省御用掛。通称は弥右衛門。
wiki」調べ



岡倉天心
日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。 日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。
wiki」調べ



巌本真理
ヴァイオリニスト。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル、後に巖本真理と改名。
wiki」調べ


<巌本義治>
性教育家、評論家、事業家。
wiki」調べ
巌本真理の祖父にあたる。



<大田黒元雄>
日本の音楽評論家である。日本における音楽評論の草分けとして知られる。
wiki」調べ


<伊藤道郎>
日本のダンサー、振付師。
wiki」調べ



<ローデスカ・ワイリック>
 アメリカ合衆国オハイオ州マンスフィールドの貧しい農家に生まれる。1890年(明治23年)ドレイク大学を苦学して卒業。直ちに宣教師として来日。5年間にわたり伝道活動に携わり、一時帰国、翌1896年再び来日し、教会を開いて伝道に努める一方、学習院や、府立四中(現在の都立戸山高校)等で英語を教え、多くの孤児や捨て子を自宅に引き取って養育した。
 また、当時偏見の強かったハンセン病患者の施設を訪問し、奉仕活動にも尽くした。
 日露戦争(1904〜1905)が始まると、ワイリックは、戸山の陸軍病院に励まし、献身的な看護に当たり、いつしか「東洋のナイチンゲール」と呼ばれるようになる。
 意志の強い反面、物静かで心優しい人だったという。
 人類愛と奉仕活動に尽くした信念の人、ロダスカ・ワイリックは1914年(大正3年)4月3日東京赤坂の病院で死去。
 享年57歳。ここ染井霊園で永遠の眠りに就く。
「現地の説明板による」



<海野 勝萊(うんの しょうみん)>
彫金家。水戸生まれ。幼名・竹次郎。別号は東華斎、芳州。
wiki」調べ



◆慈眼寺





蓮華寺





続く。