2018/09/07 滝野川散歩 02 旧醸造試験所第一工場/正受院/石碑/馬場商店会MAP/滝野川病院/四本木児童遊園/四本木稲荷

まだ石神井川沿いに西へ進む。
閑静な住宅街。



◆旧醸造試験所第一工場

前回の日記の説明板に書いてあるレンガ造りの建物。
以前は酒類総合研究所があり、一般公開の時に見させてもらったが、広島に引っ越してしまった・・・・。
建物は11月の文化財ウィークの時に公開している模様。




◆正受院










不動の滝跡

不動の滝は、泉流の滝とも称され、正受院本堂裏の峡から坂道を下った石神井川の岸にありました。『江戸名所図会」は、この地の江戸時代後期の景観を次のように説明しています。


 正受院の本堂の後、坂路を廻り下る事、数十歩にして飛泉あり、浴々として消壁に遡る、北境、常に蒼樹精講として白日をさ、え、青苔露なめらかにして人跡稀なり、


 室町時代大和国に学仙坊という不動尊の祈祷を修行する僧侶がいた。ある時、霊夢を見て東国の滝野川の地を訪れ、庵をむすんで正受院を草創した。この年の秋、石神井川が増水したが、水の引いた川から不動の霊像をすくいあげた。学仙坊は、これを不動尊修法の感得した証と喜び、滝の傍に安置したと伝えられます。不動の滝は、滝の傍に不動尊が祀られていたことから付けられた名称ですが、今も、その跡が僅かに偲ばれます。



石造近藤守重坐像



 坐像は、現在の千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府(だいにっぽんえとろふ)」という標柱を建てた近藤守重(こんどうもりしげ)の肖像です。
 守重は、明和八(1771)年、江戸町奉行所与力の次男として生れ、家督を継いで、通称を重蔵(じゅうぞう)、号を正斎(せいさい)と称しました。
 寛政十(1798)年三月、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉兵衛 の協力で、石像のように、甲冑(かっちゅう)に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽力しました。また、利尻島の探検にも参加し、蝦夷地についての著書も著しましたが、文政五(1822)年から九年までの四年間を、正受院の東隣に、滝野川文庫という書斎を設けて住みました。
 石像近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁(たにぶんちょう)に下絵を依頼して製作したと伝えられます。



鐘楼門








◆石碑

住宅街の一角に不自然にたたずむ石碑が・・・・。
正受院に近いところにあるので、関係があるかな?
どなたかご存知の方教えてください。









◆馬場(ばんば)商店会MAP




松本零士さん!?
調べると、松本さん本人によるものとのこと。





滝野川病院




◆四本木児童遊園




◆四本木稲荷神社





境内社





境内社



鳥居1


鳥居2





続く。