2018/09/07 滝野川散歩 06 旧地名石碑/宮澤賢治と花巻市の鳥「ふくろう」/上池袋さくら公園/子安稲荷/上池袋一丁目児童遊園/家庭学校跡

この日記のエリアも東にすすむ。
史跡がまとまっていないので、割と広い範囲をジグザグに進む。
遠くにサンシャインビルがチラチラ見えた。



◆旧地名石碑(上池袋さくら公園内)

<堀之内>
 昭和7年ー44年までの町名で、17世紀中ごろ(江戸時代)、王子の梶原堀之内より分郷したのでその名が付いたと言われています。
 この碑は「堀之内」の名を後世に言い伝えるために設置しました。




宮澤賢治花巻市の鳥「ふくろう」(上池袋さくら公園内)




 宮澤賢治は1896年に、現在の岩手県花巻市に生まれました。「雨ニモマケズ」や、童話「銀河鉄道の夜」などで知られる賢治は、ふるさと岩手を理想郷「イーハトーブ」と呼び、37歳で亡くなるまでに、たくさんの詩や童話を書いています。
 賢治作品に何度も登場する「ふくろう」は、花巻市のシンボルの鳥であり、童話「二十六夜」は代表作です。舞台は花巻市内を流れる北上川のほとりで、集うふくろうたちを前に、ふくろうの僧が「疾翔大力」 について説法します。疾翔大力とは、賢治創作の菩薩の別号で、物語の最後では二十六日の月の中に三尊の仏として、その姿を現します。
 農業指導にその身を捧げた賢治は、「農民芸術概論綱要」の中で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と記しています。あらゆる生命の「ほんとうの幸福」を求め続けた賢治の祈りを、花巻から飛び立つ「ふくろう」に託します。




◆上池袋さくら公園

広い公園で図書館もある。




◆子安稲荷神社


境内社









◆上池袋一丁目児童遊園




◆家庭学校跡

上池袋東公園内に説明板があった。




 家庭学校は、巣鴨村大字巣鴨(現上池袋一丁目 三十七番一帯)にあった感化教育施設である。
 設立者の留岡幸助(とめおかこうすけ)は、元治元(1864)年に備中国(現岡山県)で生まれた。幼少期に経験した身分制社会の不条理から、すべての人間が平等に生きられる社会を希求するようになり、キリスト教にその理想を見出した。同志社英学校神学課卒業後、明治二十四(1891)年から北海道空知集治監の教師をつとめるなかで、「犯罪を犯すに至った原因は、少年期の環境が悪いためである」という考えをもつ。同三十二年一月、厳本善治の斡旋によって巣鴨村の3600坪の土地を購入し、同年十一月二十三日に家庭学校を開校した。
 家庭学校では、当時まだ自然豊かであった巣鴨村で、農業や牧畜の作業とキリスト教を通じて、不良少年の感化教育が行われた。生徒は校内の宿舎で父親役・母親役の教師と寝食を共にし、家族のような共同生活を送った。
 明治三十七年、日本初の慈善事業従事者養成機関として、慈善事業師範部を校内に設けた。明治四十二年、東京府代用感化院に指定。大正三(1914)年、北海道紋別郡遠軽に社名別分校(現北海道家庭学校)、同十二年に神奈川県に茅ケ崎分校を開設した。
 昭和六(1931)年、留岡が倒れたことにより、家庭学校は東京府代用感化院の指定を辞退し、茅ヶ崎分校を閉鎖した。同九年二月五日、留岡が七十歳で死去する。巣鴨の校地は、日本初のガン専門の研究機関である癌研究所(昭和九年開設。平成十七年有明へ移転)及び付属治療所に譲渡した。



続く。