24時間勤務アケで、渋谷に用事があったのでついでに散策。
表参道駅から渋谷駅まで歩いてみた。
◆表参道駅
太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂、青山地区の大半が焦土と化しました。
表参道ではケヤキが燃え、青山通りの交差点付近では、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。
戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界平和を祈ります。
港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。
明治神宮の参道入口の石灯籠。
台座の一部が黒くなっているのは、昭和20(1945)年5月24日から25日夜にかけての大規模な空襲の跡とのこと。
散歩した時は何も気にしなかったけど、日記を書くにあたっていろいろ調べると、戦争の跡が色濃い街なんだね・・・・。
◆高野長英隠れ家跡
google mapに載っていたので来てみたが、現地には説明板など何も残っていなかった。
wikiで、「高野長英」を調べてみた。
『高野 長英(たかの ちょうえい、文化元年5月5日(1804年6月12日) - 嘉永3年10月30日(1850年12月3日))は、江戸時代後期の医者・蘭学者。通称は悦三郎、諱は譲(ゆずる)。号は瑞皐(ずいこう)。実父は後藤実慶。養父は叔父・高野玄斎。江戸幕府の異国船打払令を批判し開国を説くが、弾圧を受け死去した。1898年(明治31年)7月4日)、その功績により正四位を追贈された。主著に『戊戌夢物語』『わすれがたみ』『三兵答古知機』など。また、オランダ語文献の翻訳作業も多く行っている。』
また・・・・
『嘉永3年(1850年)10月30日、江戸の青山百人町(現在の東京・南青山)に潜伏していたところを何者かに密告され、町奉行所に踏み込まれて捕縛された。』
とのことだったので、この時の潜伏場所だったと思われる。
続く。