やっぱり環七を北上。
まだ遺跡がチラホラ。
方南峰遺跡は、善福寺川と神田川の合流地に形成された。通称「峯台地」と呼ばれる舌状台地一帯に広がる複合遺跡「方南町峯遺跡群」のうちの一つです。
この遺跡は、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡で、特に縄文時代中期(約5000年~4000年前)の集落跡および弥生時代(約2500年~1600年前)~古墳時代(約1600年~1200年前)の集落跡として知られています。
泉南中学校の敷地内では、昭和二十五年から平成十四年までの四時に渡る発掘調査によって、縄文時代中期・弥生時代~古墳時代にかけての住居跡が合計六十二軒発見されています。弥生時代~古墳時代の大型の遺跡も発見され、所謂、環境集落として著名な遺跡です。
弥生時代の住居からは広口壺・台付甕(だいつけがめ)・柑(かん)・高附(たかつき)・鉢、古墳時代の住居からは長胴甕(ちょうどうがめ)・甑(こしき)・鉢・椀・附(つき)・土製支脚が出土しています。これらはそれぞれ一家族分の土器セットであり、当時、日常使用されていた土器の組み合わせがよくわかります。
その他には、愛知県を中心とする東海地方県の土器片も出土しており、当時の人々の交易・交流の広さを知ることができます。
近年の発掘調査では縄文時代の集落が環状七号線の東側、弥生時代から古墳時代の集落が西側を中心に広がっていることや、弥生時代の集落が環濠の外側にも広がっていることがわかってきています。
◆暗渠サイン
おそらく暗渠。
あとで調べるためにとりあえず記録。
◆堀之内橋
下は善福寺川。
◆本村橋
コチラも下は善福寺川。
続く。